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(1)
 実のところ、この書きモノは昨年(2008年)の春ころから始める予定にしていた。ある雑誌のエッセイなどには、そのように予告してあったから、それをみた人は、始まらない、おかしい、ササクラは嘘をついたのではないかと思われたかもしれない。

 そうではない。もろもろの事情あり、およそ一年ほども日程が延びてしまったのである。じりじり、やきもきしながら待っていた人がいるかどうかは知らないが、やっと船出する日が来たようで、これから先は、同乗してくれる人がぽつぽつ現れるのを待つばかり、そして無事の航海を願うばかりだ。

メナム・エクスプレス
メナム・エクスプレス

      
 そういえば、この国の大動脈、チャオプラヤー川をゆくメナム・エクスプレス(写真)は、数ある岸の船着場で、人を乗せたり降ろしたりしながら走っている。それは風物詩的な情景であり、観光の目玉の一つともなっている。

 我のこの書きモノも、そうやって人を乗せたり降ろしたりしながら進んでいくのだろう。ただ、年中無休のメナム・エクスプレスと違って、日曜祭日はお休みさせていただくかもしれない。違いといえば、それくらいのものか。
 さて――。
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2009.04.01 / Top↑
(2)
 この国の爪楊枝(つまようじ)は、両端が尖っている。
片方が使えなくなると、もう片方で歯をほじくればよい。非常にシンプル、というか、ごく当たり前に合理的、実利的である。

タイの爪楊枝
タイの爪楊枝

      
 それに比して我が国では、片方しか使えず、もう片方には彫りが二筋ばかり装飾的についている。無駄、というか、楊枝ごときものに、なぜそんな飾りみたいなものをつけるのか、大いにギモンとする。

 それより、単純に棒切れにして両端を尖らせ、どちらも使えるようにしたほうが、我のごとく、それを常用し、毎食ごとにゴシゴシと歯と歯の間を掃除する者にとっては、ありがたくもある。が、日本では、もう一本、新しいのをつまみ出さねばならない。しかも、店によっては、わざわざ薄紙に包まれているし、使われるかどうかもわからないのに、お箸と一緒に包装されていたりする。
 非経済的、非合理的だ。

 何、たかが爪楊枝のことでゴタゴタいうな、と叱られそうだが、実は、我は真面目、これを突きつめていけば、こなたかなたの比較文化論にまでおよぶモノが書けると思っている。
 が、論文など書いてしまってはおもしろくも何ともない。理屈はできるだけいわないことにしよう。

 そこで、爪楊枝のことをもう少し。こちらタイでは(今後は「この国」「こちら」という)、両端が尖っているとはいえ、その形状はときに不ぞろいで、安食堂では片方が切り出しナイフみたいに鋭利なものも混じっている。
2009.04.02 / Top↑
(3)
 要するに不良品だが、これがまた我には好都合で、それでゴジゴジやると歯周病から歯を守るのに効果があると歯科医(註1)に教えてもらっているから、片方は丸、片方は切り出しナイフ状のものを手に、カイテキかつ有意義な食後時間を過ごせるというわけだ。

 もっとも、少し高めの小ぎれいなレストランであれば、両端はきちんと丸く尖っているけれど。そして、中には、わざわざ片方を輪切りにして使えなくしたもの(これも一部あることはあるのだが装飾はない)を置いているところもある。

 ちなみに、屋台はむろん大衆的なタイ料理店では、爪楊枝はテーブルには置いていないことがほとんど。客が使うかどうかわからないものを置いておく必要はない、というわけだろう。食券売り場やレジ、雑然としたキッチンなどに置いてあって、欲しい人だけが、マイ・チン・ファン(歯<ファン>を突っつく<チン>木<マイ>)はありますか(ミー・マイ?)、と尋ねて手にすることになる。

 我の居るアパートメント近くのスーパーマーケット、ジャスコのレストランンでは、食券売り場に置いてあって、非常にふぞろいである。
 で、この話はいったん打ち切りとする。

註1
『さらば歯周病』(新潮新書)の著者、河田克之歯科医(著者の高校時代の後輩)。姫路市で開業して数十年、毎月一回、歯石を取り続ける臨床の結果、カルテには厚労省の目標である80歳で20本の自歯を残すことに成功した多数の記録が残る。著作は、その成果ほか歯についてのあらゆる知識を網羅したもの。

街角の屋台
街角の屋台
2009.04.03 / Top↑
(4)
 また、これはこちらでの笑い話だが、ひとりの女性に、「あなたはキレイ」と、うかつにも言ってしまった場合、ビンタが飛んでくるかもしれない。というのは、キレイは、こちらでは不美人、いや、醜い、の意で、最悪の部類に属するそうだ。あなたは非常にブス、と告げるようなもの。

 言葉の問題だけは、ちょっとやっかいだ。へんてこりんな文字はむろんのこと、発音、声調がむずかしい。とくに声調は、五種あって、平声、低声、高低声(高音から低音へ)、高声、低高声(低音から高音へ)、と、すべての単語につく。言葉の流れは従って、非常にリズミカルで変化に富んでいる。同じ音でも、声の調子によって意味がまるで違ってくるのは、中国語もそうだが、ときに言い争いでもしているように聞こえる。

 例えば、「プラ」という単語の場合、平声だと「魚」、高声だと「僧」となる。これを間違えば、魚がほしいと言ったつもりが、お坊さんがほしい、となってしまう。

開店セレモニーの僧侶
開店セレモニーの僧侶

  
 人名や地名等の固有名詞も同じ。プラ(魚)というニックネームの女の子に、高声を発したりすると、坊さん! と呼びかけたことになる。

 ペッ、という語は、辛い、あひる、ダイヤモンド、と発音、声調によって変化するので、辛い料理があひるの料理になったり、ダイヤモンドの料理となってしまう。
2009.04.04 / Top↑
(5)
 マー、は高音だと馬、低音から高音だと犬、平音だと、来る、となったり、クライ、は高音から低音だと、近い、平音だと、遠い、となって、これは意味が正反対になる。カイ、は低音だと鶏、高音だとガイド、低音から高音だと、装う、となって、下手なタイ語を喋ると、タイ人には何が何だか、何をのたまっているのか、まるでわからない、混乱の極みとなる。

 間違うととんでもないことになるケースは、ほかにもたくさんある。料理の名前も声調を間違えば、思った通りの皿が出てこない。ゆえに、外国人が来るレストランでは、絵入りのメニューが置いてある。
 市街地を貫く通りに、スクムヴィット通りというのがある。このスクムヴィットも、発音と声調をきちんと言えなければ、まるで通じない。我は最近になってやっと、何とか通じる程度には言えるようになっているが。

 従って、タイ語の英字表記、カタカナ表記はむずかしく、人によって異なってしまうことも少なからずある。(今後、できるだけタイ語のカタカナ表記を試みるが、我の耳がキャッチした音が他とは違っている可能性もある。)

 こなたかなたの違いは、他にもあまたある。
 異国で暮らしていくには、その違いを受け入れてしまう精神が何よりも大事である。決して、違いにイラついたり、腹を立てたりしてはいけない。当たり前のことだが、これがなかなか理屈通りにはいかない、素直になれないもので、ふだん頭の中でわかっていても、いざとなると、思わず、ということがしばしば起こるから要注意だ。

著者近影(註2)
著者近影(註2


 先ごろも、我の知友が、わけのわからない行動をとったバイタク(バイクタクシー)の運ちゃんのヘルメットをド突いてしまい、後になって反省しきり、大喧嘩になってケガでもしたら、それこそ後の祭りだった。

註2 著者近影 35年ぶりに坊主に。すっきり、さっぱり、出家の準備ではないが、よけいなケはないほうがいい。
2009.04.05 / Top↑
(6)
 異国では何が起こるかわからない。これも心得ておくべきことの一つ。
 むろん日本でも一寸先は闇であるわけだけれど、異国ではもっといえることだ。

大通りの消火栓
大通りの消火栓

 
 いつだったか、久しぶりに日本食で知友と一杯やり、ふらりと街へ、スクムヴィット通りへ。歩きはじめてまもなく、足のスネを何ものかで強打し、あやうく転倒しそうになった。何が起こったのか、むろんわからない。激痛のあまり歩道にしゃがみこみ、我の前途をはばんだものの正体を見定めるべく、振り返って目をこらした。と、真っ赤な鉄のかたまりが、歩道のド真ん中に、デンと居座っているではないか。

 何だ、あれは!
 絶叫してさらに目をこらすと、それは何と「消火栓(水道の給水栓)」であった。前後にも出っ張りをもつ、ばかでかい鉄のかたまり。火事があればそこから水をひく、街には必要なものながら、それがなんで歩道のド真ん中に、通行人の往き来を妨害するところに存在しているのか。あきらかに道路交通法違反、前方不注意の我のみをとがめてもらっては困る。

 十分余り、歩道の隅でうずくまり、スネをさすっていた。少し腫れてきているが、骨には異常がなさそうで、ゆるゆると立ち上がってみる、と、どうにか歩をすすめられそうだ。ズキン、ズキンとくるものの、帰って冷やせば何とかなるだろう。車道に出てタクシーをひろい、ホッと一息、そして、つくづく思う。ここは異国なのだ、と。
2009.04.06 / Top↑
(7)
 それを忘れていたわけではないが、我が国ではあり得ない、消火栓のありかについて、その後、我と直前まで飲んでいた日本人に話してみると、在タイ十五年になる彼でさえ、知らない、という。
「そんなの、見たことないですね」

 えッ、と我は発し、有るのだと反論する。
「こんど、よく見てみます」
 それで話は終わったのだが、後日、また会ったとき、
「あった、ありました!」
 叫ぶようにいうので、我はよろこんで、何やら大事なことに同意を得たような気持ちになったものだ。

 彼がそれをみたのは、会社の近く、シーロム通りの歩道だという。やはり真っ赤な、それもびっくりするほど大きいのが、ド真ん中に、あった、というのだ。

 バンコク暮らしが長きにわたる彼でさえ、そんなものが歩道にあることに気づかなかったというのだから、人間というのは相当に鈍い生きものなのかもしれない。また、鈍いからこそ、この世の、おそろしい落とし穴の存在をものともせずに生きていけるのではないか。そして、その恐怖のありかというのは、それに直面し、痛い目にあってはじめて、ジッとみつめ、トクと自覚することになる場合が少なくない。

 後日、チャイナタウンでもそれをみつけた我は、なぜかうれしく、というのは、もうゼッタイにそれにつまずかない自信がついたからである。

チャイナタウン
チャイナタウン
2009.04.07 / Top↑
(8)
 確かに、この国をわかろうとするのは大変だ。日本ではあり得ないことが平気で起こる。日本で当然のことがこちらでは起こらない。日本で当たり前の考え方がこちらでは通用しない、といった場面が日めくりのごとくにある。

 なぜと問えば、民族性の違い、価値観の違い、歴史の違い、気候、風土の違い、言語、宗教、文化の違い、等々を理由とするしかないわけだけれど、その違いを受け入れられるかどうか、さらには違いをたのしめるかどうかで、そこに暮らしていけるかどうかが決するといってよい。

 違いばかりを挙げる書き出しになってしまったけれど、当然ながら、いろいろと共通するところ、響きあう精神というのもある。

 これは日本人のタイプによって異なるのだろうが、我の場合は、まちがいなく源流がこちらにあることをつよく感じる。たまに違いにいらだつことはあっても、おおむね、カイテキな暮らしが可能であるのは、そのせいにほかならない。

バンコク中心街(世界貿易センタービル・伊勢丹前)
バンコク中心街(世界貿易センタービル・伊勢丹前)

  
 これをお読みいただく方々が、どちらに振れるのか、カイテキかフカイか、おもしろいかおもしろくないか、それによって、行ってみようと思ったり、そんなところに行くものかと思ったり、これを読みつづけたり、投げ出したりするはずである。
2009.04.08 / Top↑
(9)
 人間というのは、実にさまざまであるわい、と今さらながら実感するのも、こちらにいるせいである。いうまでもなく、東京よりはるかに多国籍、多民族社会であるから(世界中からの異国人も含めて)、その感をふかくするのだろう。日本人にもいろんなタイプがいるものだとつくづく感じるのも、こちらにいるからにほかならない。

バイクタクシーの街角ステーション
バイクタクシーの街角ステーション

      
 日本と日本人がよくみえてもくる。こなたかなたの違いによって認識をあらたにすることがよくある。どっちがいいとかわるいとか、どっちのどこが好きだとか嫌いだとか、間違っているとかいないとか、かなたのアレとこなたのコレが快適だとか不快だとか、それもどの程度の問題であるのか。

 ある事柄は深刻、ある事柄はさほどでもない、といったことは、人によって、その価値観や考え方によって異なってくるだろう。

 ただ、地球塾のジュクチョウとしての我は、そのようなモンダイを読者の前にさらすことで、もろもろ考えてもらう、議論してもらう、という立場がよい。戦後生まれ、団塊世代(この呼び名に我は異議があるのであるが)の一員として、2009年秋に還暦を迎えた身は、そろそろ何かモノをいわせてもらいたくなっているし、それが我の務めであると感じてもいる。

 日本の見直し、そして建て直しは、外からの眼を取り入れるべきだというのが、この地球塾の最大のコンセプトである。

 我のデビュー作は、『海を越えた者たち』という「すばる文学賞」の佳作に入選した作品だが、1971年当時、学生時代の一年間、休学してソ連へ、欧州へ、アフリカへ、アジアへと、およそ36カ国を巡った放浪体験がもとになっている。卒論とした『ユーラシア大陸紀行』は、わが師であった暉峻康隆(註3)が「優」をつけながら、後に、「アレは煮ても焼いても食えなかった」とのたまったほどの出来、つまり「女がまるで書けていない」と、叱られた作品だった。

註3 早稲田大学文学部名誉教授(故人)。江戸文学、とくに西鶴文学の研究者として名高く、マスコミにもしばしば登場。「イレブンPM」やNHKの「お達者くらぶ」などに出演し、視聴者を惹きつけた。その著『女子大生亡国論』は話題になったが、晩年、今の女子大生は可哀想だとして論を撤回している。
2009.04.09 / Top↑
(10)
 以来、方々へ旅をして、いまのところ60カ国余りを訪ねている。海外を舞台にした作品も数あるが、小説にこだわらず、もっとノンフィクションを書くべきだったかもしれない。バンコクを舞台にした『愛闇殺』(ハヤカワミステリ)などは、構想から5年もかかってしまった。それではとても食っていけない。

愛闇殺
註4


 各国を歩き、さまざま見聞して、最終的に活動の拠点にしたいのは、タイである。理由はおいおい述べていくことになる。「地球塾」は、この書きモノのタイトルだが、近い将来(ぐずぐずしていると命が足りないため)、ホンモノの「塾」をバンコクとタイの田舎と日本を結んで開く構想が、賛同者を得て浮上している。

 こういっては語弊があるかもしれないが、欧米で学ぶ時代は終わった、彼らはちっとも日本をよくしてくれなかった、というのが我の正直な感想なのだ。

 言うまでもなく、戦後の日本は、アメリカ式民主主義の名の下に、欧米一辺倒の価値観に染まり、アジア無視(というより蔑視)の姿勢をつらぬいてきた。その洗礼を真っ先に受けたのが、我の属する団塊世代であり、いま現在のモンダイだらけの社会がつくられていく全行程につき合った。つまり、国破れて山河があるだけの難破船、ニッポン丸の、最初の乗客となって、舵をとる(しかし羅針盤がなかった)大人たちにつき合わされてきたのである。

 我の両親は、そんな戦後社会の教育者として、ながく学校勤めをしていた。ゆえに、その息子は、戦後の教育現場の裏も表も知っている。商人の子弟が知り得ないことまで知っているから、どうして日本と日本人がこうなってしまったのかを少しは言える立場にある。はっきり言って、戦後教育はロクなものではなかった(この言い方は非常にらんぼうなので後に詳しく)、ということも、いずれ述べることになるだろう。

註4 著者の近作『愛闇殺』(早川書房)。バンコクを舞台にした海外保険金殺人がテーマの刑事ミステリ。バンチョウの愛称をもつ巡査部長、坂野梓と、ガンさんこと岩海刑事が事件現場のバンコクへ乗り込み、事件解決へ向け奔走する。「女のために獣となる」帯の文言通りの展開が熱帯の街に繰り広げられる。
2009.04.10 / Top↑
(11)
 理屈や論はできるだけ避けることにするが、どうも我の根にはその傾向がある。一種のクセ、病ともいえる。ここはひとつサプリメントでも食して病をいやしながらいきたいところだが、思わず、といった形で出てしまう可能性がなきにしもあらずだ。

 ひょっとすると、民族文化論のようなことをおっぱじめるかもしれないし、宗教論のようなものをはじめる恐れもある。が、こころする点は、それが毒にも薬にもならないのではなく、読者の方々の何らかのタメ、タシ、もしくはダシになるものをめざすことだ。(たとえ理屈を述べはじめても、言いたいことの前置きであり、仕掛けであるとお考えいただきたい。

 とくにこの先、アジアの国々へ行ってみたい、タイへも行ってみたい、気に入れば住んでもみたい、という方には、大いに役に立つ、知っておいて損はないことの数々を込めていこうと思う。

裏町のアイスクリーム売り
裏町のアイスクリーム売り

         
 団塊世代の多くは社会の一線を退いているが、近ごろ、その姿が目立ってふえてきた。さては、虎視眈々と、ネンキンで楽に暮らせる異国を探しておいでかな、とお見受けするが、それはそれでまことにけっこう。いくつかの問題さえクリアすれば(実はこれが高いハードルとなる人も少なくないのだが)、定年後の新しい人生をスタートさせるにはふさわしい異国かもしれない。我のよもやま話は、同世代であるだけに、わかってもらえる部分が多々あるはずである。

 我くらいの歳ともなれば、痛い目にあって学んでいる暇がない。こっぴどい目にあった日には、それにて人生はおしまい、ということにもなりかねない。大きな過ち、失敗をして学ぶには、時間が足りない年齢に達していると言ってよい。
2009.04.11 / Top↑
(12)
 若者とて、転ばぬ先の杖は必要だろう。一度の失敗、過ちが命取りになることがあるのは、例を待つまでもない。交通事故がそうだし、男女関係のもつれから取り返しのつかない事態を招いてしまうこともある。

 その際、ひと言、我の忠告があれば未然に防げるはずだし、少なくとも大怪我はしないですむ。つまり、経験から学ぶのではなく、知識として学ぶことで被害を未然に防ぐしかない、ということになるだろうか。本当にかしこい人間は、知識を経験と同一とみなして事故や被害を未然に防ぐものだ。

 世のハウツーものは教えてくれない、大使館の広報もそこまでは教えていないことがいくらでもある。どこに何があるとか、それをするにはどうすればよいとか、その種の地図は描いてくれるが、細かな生活の中身、方法、そして何よりも生活の知恵、心得といったものは、また別問題としてある。

 何がいくらで、どこで買えるとか、教えてくれる人はいる。それもまたありがたいことではあるし、我もまた、できるだけ記してみるつもりではいるけれど、本当のシゴト、役目は別にあると心得る。これを読んだ人は、この街にきても、我のように歩道の真ん中にある消火栓に当たって転ぶようなことはない、それに越したことはないと思う次第なのだ。

著者の居るマンション(註5)
著者の居るマンション(註5


 つまり、いかに異国で生きるか、どう無事に暮らしていくか、といったこと。優れた旅行記が後発の旅人の指南書となるように、この書きモノの目的の一つもそこにおきたい。
そして、もう一言二言、つけ加えれば、舞台はタイという国が中心だが、いわゆる“異国暮らし”というのは、いずこにも共通する部分が少なくない。

 どこで暮らそうと、基本的には同じ、といってよい。それぞれの風土、歴史、国民性は異なるわけだけれど、こちら側、日本人としての立場、心構えといったものは共通であってよい。本質的なモンダイ点も同じ、危険や落とし穴も同じ類い、といってよい。

註5:著者の居る、方丈の間ばかりのアパート。タイの庶民、平均的サラリーマンが暮らしている。
2009.04.12 / Top↑
(13)
 ひきもきらないトラブル相談で、日本大使館の邦人保護課は大忙しだ。
 例えば、近年、持ち込まれる件数は、年間、1000件を超えるという。これは全世界の在外公館中、最多を争う数であるらしく、それだけ多くの日本人がこの国に来るようになったということでもある。

 人生は筋書きのないドラマ。スリリングに、波風たてながら、しかも、行く川の流れの絶えない諸行無常でいきたい。

 この街で、これほど狭い部屋に住んでいる日本人はまずいない。現地赴任の企業人は御殿のようなところに暮らしているし、観光客はおよそ一流ホテル、カオサン通りのバック・パッカーでも狭くて6畳余り、現地に長い人でいくら貧しくても方丈の間(およそ四畳半)に暮らしている例は聞いたことがない。

ソンクラーン祭の子供たち
ソンクラーン祭の子供たち

       
 我のみ(あと一人か二人いるかもしれないが)、といっていい。ごく平均的なタイ人の勤労者がつましく暮らすアパートメント、彼らと同じ、真四角の四畳半。世間をながめながらモノを考えたり、書いたりするのに、ちょうどよい広さ。昔、鴨長明(かものながあきら)が『方丈記』を書いたのも、同じ方丈の間。もっとも我は頭を丸めているが、出家はしていない。

 これを世に出す2009(2552)年度は、すでに述べたように我の還暦の年、もう一度、32歳時の処女作のころに立ち返って、しかと異国と日本を眺めてみたい。海を越えた者たちの生態をテーマに、売れるかどうかもわからない小説を書いていたころは、今にも崩れそうなぼろアパート、東京は杉並区阿佐ヶ谷の三畳間だった。それよりもリッパな建物で、少し広いわけだけれど、たまには望遠鏡をつかって方丈の間から世界をみる、“いま鴨長明”といきたいところだ。

 では、これにて、やや長めの「まえがきの章」はおしまいとする。折から、タイのお正月、ソンクラーン祭(毎年4月13、14、15日の3日間)がはじまった。この国の新年からのスタートになるとは、ちょっと縁起がいいか。
2009.04.13 / Top↑
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ブロマガって何?
2009.04.14 / Top↑
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2009.04.15 / Top↑
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2009.04.20 / Top↑

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