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 小説家がグルメの話を書いた例は枚挙にいとまがないが、記憶に新しいところではやはり池波正太郎(故人)だろうか。料理というものに、いわゆるウンチクをかたむけて、つまりみずからの舌と胃袋の感ずるままに味覚をたのしみ、その機微を記す手練はたいしたものだった。

「食」は、しばしば「欲」と称されるけれど、人の「健康」を司る最も重要かつ必須のものであるから、当然ながら日々の営みの大事なコーナーを占めていて、それについて何事かを記すというのはモノ書きのれっきとしたシゴトの一つであってよい。

 世界の三大料理といえば、中国料理、フランス料理は外せないだろうが、あと一つ、どこが入るかについては異論があるだろう。日本人なら日本料理を入れたいところだろうし、イタリア人ならイタリア料理をもってくるにちがいない。スペイン、メキシコ、インド、アラブ、ロシア等、いろいろあるが、客観的にいって、それらは外さざるを得ない。我の勝手な意見では、日本料理、イタリア料理、それからもう一つ、タイ料理が候補にあがる。

 何をもって「三大」とするか。味そのもの、種類の豊富さ、人気度、等々、いろんな尺度があるだろうが、総合力でいえば、日本料理が筆頭にくるはずである。そして、三大といわず「四大」と、もう一つ増やすことにするならば、タイ料理が食い込んでくる。イタリア料理は、さらに「五大」とすれば、その末席にくるだろう。

 という我の見方は、この国際都市バンコクにおいて、という条件つき。およそ、上記の尺度による総合的評価に照らせば、日本(数知れずある)、中国、フランス、イタリア、タイ(はむろん)、が五大料理となる。ヨーロッパから2、アジアから3、というバランスは、まっとうなところではないかと思う。
 また、この選択は、その他の国際都市、ロンドン、パリ、東京、ニューヨークといったところでも似たようなことになるはずである。

 ここバンコクは、まさに人種のルツボといってよく、色とりどり、大小さまざまな人間が世界中から集まっていて、しかもタイ人自体が北から南まで、東から西まで、四つの他国と接する広大な国土(日本の約2倍)にふさわしい多彩な民族であるから、見ていて飽きないほど。そのような超国際性のなかで、以上の客観的判断を下した次第なのだ。

 その国際都市を舞台に、グルメ巡りをはじめてみよう。中心となるのは、むろんタイ料理。中国やフランスや日本は、ほとんど我の出る幕ではない。語りつくされているといってよいからだが、タイ料理については、まだ隙間があるにちがいない。代表的なスープ(これは世界三大スープに入るだろう)を、多くの日本人が、トムヤムクン、と言っているうちは、まだまだ隙間だらけ、包丁(メス)を入れる余地は多分にあると思われる。


(※「食べタイ料理・グルめぐり」は、5月1日より週一回程度の配信となります。有料記事「地球塾パートⅠ 自由の河をゆく」と共にご愛読ください。)
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2009.04.18 / Top↑
(1)
 インドからバンコクへ戻ってきた我が友人は、毎度の食事(といっても一日二食だが)をしばしば一緒にとるたび、「ここには何とたくさんな食材があるものかね」と、感嘆の声を上げた。インドではこうはいかない、毎度毎度、カリーであり、その種類がいくつかあるだけ。食に関しては、ストイックといってよい世界から、この国へ来ると、その豊富さに圧倒されるほどだという。

 インドでも、デリーから東側、ベナレスやカルカッタあたりにくると、そろそろ植物的世界、モンスーン気候に入るのだが、そこからミャンマー(旧ビルマ)、タイへと移ると、はっきりと植物の繁茂する地帯となる。さまざまな動植物が森林に棲息し、その豊かさと裏腹に危険もまた共存する。

 コブラの生き血を飲んだことのある我が知友は、やがて鼻から血が噴き出してびっくりしたというが、なるほど蛇という生きものはたいした精力を提供するらしい。

 それほどの勢いをもつ動物を陰に陽に支えるのが、植物の繁茂であることはいうまでもない。象などは、長い鼻の先端で雑草をなぎ倒し、まるめこんでは口に運ぶ、その量たるやハンパではないから、環境の悪化にともない、野生の象(現在タイでは四千頭まで激減したといわれる)が食い物を求めて人里に現われ、人を襲う例もあると聞く。

スワンナプーム国際空港ハイウェイ
スワンナプーム国際空港ハイウェイ
2009.05.01 / Top↑
 その植物のなかで、人の健康に有用なのは、薬草と野菜類である。薬草としては、インドから伝わるアーユルベーダ的なものがあるし、食すると乳房が大きくなるといわれて一時ブームになりかけたガオクルアなる山芋に似たものもあるし(缶詰工場まで作ったところで成分が健康を保証しないものだと偉い博士から待ったがかかって頓挫した)、それこそ枚挙にいとまがない。友人のF氏は、インドで、プラント・ハンターと称するイギリス人の女性と出会い、そんな職業があるのだと初めて知ったというが、つまり、プラント(植物)をハンティングして、まだ未発見、未開発の、人に有用な成分をもつ草木をみつけだすための旅を製薬会社のスポンサーを得てつづけているのだという。

 そういう話を聞くと、さすがにイギリスだなぁ、と思う。かつて、この一帯を自国からみて「東南」にあるというので、サウスイースト・エイシアと称し、人と物を搾取すべく乗り出して、ほうぼうを英領としていった、その痕跡をみる気がするのだが、ハンティングするに足る植生がここらあたりにあるという、事実の証しでもある。

 そして、かつて英国をはじめとする列強が、東南アジアを次々と席巻し、領土とした、その第一の理由もまた、有り余る植物の中の、当時は何よりも有用だった「香辛料」を手に入れるため、だった。それは文字通り、「香」ばしく「辛」い食料であり、食べ物の味をよくするというより、人の体によいというよりも、「肉」なるものを保存するためのものとして、当時、冷蔵庫というものもなかった彼らにとって、なくてはならないものだった。

バンコクの大動脈メナム・チャオプラヤー
バンコクの大動脈メナム・チャオプラヤー

2009.05.02 / Top↑
 実際、この暑い気候のなか、例えば、それらをたっぷりと使った豚肉の料理などは、冷蔵庫に入れなくても三、四日は平気で持つ。冷蔵庫に入れておけば、一ヶ月くらいは持つのではないか。我は、冷蔵庫内で十日程度の経験しかないが、少しも痛んでいない、旨いまま、なのである。

 まさに自然の防腐剤である。と同時に、新陳代謝をうながし、人の体を温める効用があるようだ。我の場合、それを限界まで、つまり舌がひりつくまでの辛さを求めるわけだが、内臓を熱するということは、よい「食」の条件ではないかと、身体でもって確信する。ガンに温熱療法が効くそうだけれど、それは確かにそうだろうという気がする。

 だらだらと汗を流しながら食すると、かえって清涼感がただよう。内あつければ、外すずし。便までが臭くなく、香ばしいニオイになるから、やはり大した代謝作用なのだろう。

 タイ料理のあれこれを巡ることは、その香辛料及び香菜なるものをみていくことと不可分の関係にある。わが国にもむろんその一部(もしくはここにないもの=ワサビなど)はあるわけだけれど、種類の豊富さにはかなわない。西欧列強がどうしてもほしいモノがわが国に乏しかったことは、幸いなるかな、である。

 もっとも、タイはもろもろの条件が作用して、東南アジアでは唯一、独立を維持できた国だが、それだけに、民族料理がそっくりそのまま継続し、フランスやスペインの侵食を受けた国(インドシナ三国、フィリピン等)とは違った、純度の高いものとなっている。ただ、他国の料理法の影響はさまざま受けていて、とくに中国人がもたらしたもの、これは後まわしだ。
 まずは、世界に冠たるスープ、「トムヤム」からいってみよう。

船<チャオプラヤー・エクスプレス>からの河
船<チャオプラヤー・エクスプレス>からの河
2009.05.03 / Top↑
 日本から客人がくると、我はまずもって、このスープを食べさせてみる。
 「トムヤム」といってもわからないので、「トムヤム・クン」という。と、納得の声を上げ、知ってる、食べたい、とくる。

 我は別にいじわるをするつもりはないのだが、その人を知るために、現地レストラン、それもタイ人客がほとんどの庶民レストランで、何の手加減もしないもの、つまり、タイの平均的「辛さ」をもつそれを注文するか、もしくはビニール袋に入れてもらって持ち帰る。

 そして、最初の一さじをすすった瞬間の顔を観察する。おいしい、と声を上げたいところ、コトバにつ
まって黙り込み、目を宙へ泳がせて、ああ、とか、おう、とか、顔をゆがめて声を発する、というのが十中八九。ほとんどの日本人が、あまりの辛さに呆然とする。

 が、しかし、十人の中に、一人はいる。呆然ではなく、恍惚の表情を浮かべて、おいしい、という。この一人が我と同類であって、これから先はもう大丈夫、何でも食べられる、苦労はいらない。

 ただ、十中に一人、せいぜい二人であるから、呆然とした残りの八九をどうするか。このなかにも程度の差というのがあって、唖然、呆然のあと、気を取り直し、もう一口、二口すすってみて、辛い辛いといいながらもけっこう進むのがいる。なかには、呆然から恍惚へと移行する人もたまにいる。そうかと思うと、もうダメ、降参です、とスプーンを放り投げてしまうのもいて、実にさまざまである。

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屋台街の一店
2009.05.09 / Top↑
 「味覚(みかく)」は「人格(じんかく)」である、というのがこなたに来てはじめて実感した我の考えだ。香辛料の辛さひとつに対する反応の多種多様さは、人間そのもののそれに通じる。

 我の場合、現地人の十中八九がダメな辛さにのみ耐えられない、つまり、青い小粒の唐辛子を平気でかじりながら飯を食うという、たまにいる現地人のマネだけはできない、という程度であって、時おり、我が日本人とみて気をきかしたつもりか、辛さを手加減した料理が出てきたりすると、おう、これはだめだ、辛くない、もっと辛くしないと食べられない、プリック・ナムプラーをくれ、と叫ぶことがしばしばである。(プリック・ナムプラーについては後述する。)

 と、ここまで記して、ちょっと立ち止まろう。
 トムヤム、というのが、この世界的に有名なスープの正式名称であることを知っている人はそう多くないはずだ。ほとんどの日本人が、クンをつけて、トムヤム・クン、として記憶しているからだ。これはしかし、他の場面でもしばしば起こる誤解。トムヤムとクンの意味がわかっていないための思い込み、である。

 トムヤムとは、ヤム(混ぜる)とトム(煮る)の合成語で、混ぜて煮る、という意味をもつ。いろんなものを混ぜて煮るわけだが、いろんなものの中で何をメインにするかを、トムヤムの次に置く。クンは「海老」の意であるから、トムヤム・クンがほしいというと、えび君(クン)がいろんなものの中に居座っている。ふつう、クンばかりでは飽きてしまうので、人々は好みと気分に応じて、メインの具材を変える。

 今日は豚肉にしたいと思えば、トムヤム・ムー、鶏肉にしたいときは、トムヤム・カイ、えび君だけではなく、イカや魚も入れてほしければ、トムヤム・タレー、と告げることになる。

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トムヤム・カイ
2009.05.10 / Top↑
 牛肉が抜けているじゃないか、とおっしゃる方がいるかもしれない。牛肉は、ヌァ、というが、トムヤム・ヌァ、と注文する人に我はお目にかかったことがない。

 この国にそれがないわけではない。ステーキ屋はあるし、日本的な牛丼を食わせる店もたまにあるから、それを食べる人はむろんいるわけだけれど、非常に少ないことは確かだ。ステーキ屋や牛丼屋は、およそ西洋人(ファラン)や中国人(コン・チン)や日本人(コン・ジープン)のためにあるとみて差し支えない。(「コン」は人の意。)

 ここにも我は、こなたかなたの違いをみる。その国の文化や民族の性質にも通じる、それぞれを知るための重要なカギが隠されている気がするのだ。

 そもそもわが国に、牛肉なるものが流行(はや)りはじめたのは戦後、だいぶ経ってからである。戦後復興により、経済的にだんだんと豊かになって、肉屋といえばメインが牛肉であり、それを食することが、ある種のステータス・シンボルとなっていく。

 高校の先生であった我が父親は、学校からの帰り道に新しくできた肉屋があって、週に一度ばかり、牛肉を買って帰るようになったのだが、そこへ立ち寄る姿を生徒たちがみとがめて、センセイは牛肉を買っていた、と次の日に、うらやましいゆえの噂がひろがるという、そんな時代が高度成長のとば口にはあったのである。(それ以前、牛肉の前のゼイタクな美食といえば鶏肉であり、我が家では、年に何回か、庭の鶏をつぶして客人をもてなすといったことがあった。※「つぶす」とは殺す、の意。)

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街角の牛丼屋
2009.05.11 / Top↑
 そして、いつの間にか、わが国では、うまいもの、美食といえば牛肉が代表格となっていくわけだ。週に一度のスキヤキは、大変なごちそうで、兄弟への肉の分配に父母は気を配らねばならなかった。

 後に坂本九(故)の「上を向いて歩こう」が世界的にヒットしたとき、スキヤキ・ソングの異名を冠することになったほどに、スキヤキという肉の日本的調理法は有名になり、肉はおよそ牛と決っていて、日本の経済成長と歩調を合わせて一般化していく。(この国でも、肉<およそ豚か鶏>や海鮮や野菜を煮て独特の辛タレにつけて食べるものを「タイスキ」という。ただ、「スキ―」とだけ呼ぶこともある。スキヤキの「スキ」である。)

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歩道でココナツを売る女性 世界貿易センタービル前


 ビーフステーキなるものが出現したのは、その経済成長の途上、日本人がゼイタクにきりをつけなくなっていく途上のこと。我がそれをはじめて食したのは、確か上京して大学に入ってから(昭和43年~)だったと思うが、最初は、レア、ミーディアム、ウェルダンなどというコトバもわからなかった。

 オニオンスライスの意味がわからずに、何かにライスがついてくるのだろうと思って注文すると、玉ねぎのスライスだけが出てきて参ったという話(これはやはり田舎モンだった同業者、立松和平の失敗談)を笑えないほどに、レアだと? そんな生の肉なんか食えるわけがない、ミーディアム! と告げたものだったが、確かに旨い、こんなうまいモンがこの世にあったのだと、いたく感激した憶えがある。
2009.05.16 / Top↑
 だが、旨いからといって、そうたびたび食べられるはずもない。カツカツの生活を送る学生であったから、年に一度か二度、それにありつけるくらいのもの。仲間もみな貧乏学生であったから(今は知らないが当時の早稲田の学生<団塊世代>は実に貧しかった)、ビーフステーキなどははるか高嶺の花、せいぜい海草みたいに薄っぺらな焼肉定食をごちそうとするほかなく、学校を出て社会人になってからもそれは変わることなく、しかし、肉といえば牛が当たり前、豚や鶏は格下においていた。というより、牛のほうが旨い、という固定観念ができてしまっていて、それに何の疑いも抱かなかった。

 つまり、戦後の日本社会は、牛肉を美食とし、そのうちの何をどのように食うかということがその人の経済レベルであり、ある種のステータスと考えるようになっていった、いわば食文化の経緯がある。

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美食のきっかけとなった作品「漂流裁判」


 思い返せば、我の場合、貧しい修業時代は飲まず食わずであったのだが(阿佐ヶ谷の三畳間時代は他人からパンの耳をもらって食っていたという話を大学の同級生で同業者の三田誠広は何かに書いている。これはいささか大げさなエピソードだが、似たり寄ったりの生活であった)、その甲斐あってリッパな賞をいただき、途端に豊かになったとき、長年の夢であったビーフステーキなるものを、何と、以前は毛嫌いしていたレアで、それでなければならないと粋がって、赤ワインをお伴に(ときに女性にご馳走したりして)食することがしばしばとなった。
2009.05.17 / Top↑
 ちょいとお金が入ったと思うと、すぐにそういう美食(美酒も)に走り、それをホントの幸せと勘違いする。貧乏だった人間が陥りやすいサガだ。我の場合、ステーキを食べたからといってさほどの幸福を感じた憶えはないのだが、そういうものを食べられること自体に満足というか、喜びというか、プライドといったものに浮かれていたことは否めない。そのうち、必ずやシッペ返しがくる、ということの自覚もなかった。

 そして、ある時期、気がつくと、つまり、風呂屋の鏡にうつった我をみて、ゾッとする。最近、身体がやけに重くなってきたと感じていた、その矢先の出来事だった。

 いつのまにこんな風体になったのだ?
 ゾッと背筋を寒くした後で、我は考えた。

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街角の簡易食堂


 ここで、先へと進む前に、ちょっと断りを入れておこう。
 タイトルを「食べタイ料理・グルめぐり」としたが、これはグルメ巡りではない。文字通り、グルグルと料理、食をめぐるモノがたり、という意味であって、グルメ、すなわち美食家の欲求に応えるためのものではないから、そうであろうと勘違いされた方には、特に断っておきたい。
2009.05.18 / Top↑
 さて、いつの間にこんな身体になったのかと、みにくいにもホドがある体形を鏡にうつして我は考え込むわけだが、ほどなく、美食のせいだと断定する。まちがいなく、ビーフステーキなるものがつれてきた悪魔のせいだ、と。我の体に魔モノがとりついている。それも相当にタチのわるい、精神にすくう魔モノであって、それを我は、「ダラク魔」と称するようになる。

 だが、それをすぐにどうにかしようとしたわけではない。ダラクがなぜわるいと開き直る気持ちもまだどこかにあって、わが食生活を改善、改革する決意には未だ至らなかった。

 そうして、また一年余りが経過する。と、今度は前よりもリッパな賞をいただいて、さらに豊かになった。前の賞は、賞金が五百万円で、その大部分が美食と美酒に消えていたから、みにくい身体になってしまうのも当然であったのだが、今度の賞は、賞金こそ百万円にすぎないが、ある程度本が売れたので、以前に劣らない金が入ってきた。

 といっても、歴代の受賞者のなかでは最低の売れ行きであり、家を建てたり、車を買ったりするまでには至らなかったのだが、旨いビーフステーキをレアで食べたり、銀座で美女と美酒をたしなむことくらいはできたから、みにくい身体にさらにさらに魔モノがとりついて、気がついたときは、貧しい頃の体重より10キロもオーバーしていた。
           
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さらに醜い体形になるきっかけとなった作品
2009.05.30 / Top↑
 今度こそ、我は危機感におそわれる。このままステーキなんかを食べつづければ、早晩、我は死ぬ。あと数年、もつかもたないか、たぶんもたない、と我の身体が直感した。ぶくぶくと膨れ出た腹が何ともみっともなく、これでは人間シッカク、人間としてこんな姿はシッカクだ! と、心の叫びがやまなくなっていく。

 それが悪夢ともなって、ダラクどころか、高みから墜落する夢をみるようになった。貧しくて食えない時代は、スイスイと空を飛ぶ夢をよくみた(自分が飛行機の翼に乗って狭い樹間をみごとにすり抜けていったり、手を振るだけで空に舞い上がったりした)のに、いったい何たるザマか。
      
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街角の食堂に山と積まれた野菜類


 ちょうどその頃、美食家で有名だった同業の大先輩、開高健があっけなくガンで逝ってしまった。氏は、我も美食を口にするきっかけとなった賞の選考委員でもあって、そのときは、丸々と肥った身体を公開選考会の席におき、手元の赤ワインをちびちび飲(や)りながら、まだ元気なお姿であった。

 我の作品には、受賞の票を入れてくださらず、対抗馬と2(我側・田辺聖子、田中小実昌)対2(対抗馬樋口有介側・イーデス・ハンソン、開高健)に割れて大もめにもめ、最後の一票を都築道夫(故)が我に投じて決着をつけることになるのだが、それはさておき、開高氏のあっけない死は、その頃すでに、このままでは数年もたないと感じていた我にとって、かなりのショックであった。

 折から、もう一人、我に自覚をうながした人物がいた。ある席で出会った、一人の医者の話。聞けば、2年前には80キロあった体重を60キロに落としたという。やはり、このままでは死ぬと感じたといい、そのときからの決心を話してくれたのだ。
2009.05.31 / Top↑
 氏いわく、肉を断ったのです、と。それ以外は何もしなかった。好きな牛肉を断つ、ステーキはむろん焼肉定食の類も決して食べない、これを2年間つづけた。それ以外は何もしない、減食したわけでもなく、これまで同様、お腹いっぱい、食べていた。豚肉や鶏肉も断った。要は、続けるか否か、それも徹底するかどうか、それだけだと笑った。

 二者択一、という言葉がある。ふだん何気なく使っているそれには、実は深い意味があるようだ。人は一つの岐路をみたとき、右へ行くか左へ行くかを決めなければ先へは進めない。どっちを選ぶか、事が重大であればあるほど、その選択には決意がいる。先だって、煙草をやめた知人がいて、どうしてやめられたのですか、と尋ねると、答えは簡単、吸うか吸わないか、どちらかを選ぶしかないことに気がついて、結局、吸わない、を選んだにすぎない、というので、ウ~ンと妙に感心したものだ。
       
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街角で無造作に売られるバナナ


 大好きな肉を断つなどもってのほか、そんなことをするくらいなら死んだほうがマシ、ぶくぶく膨れたって、旨いものを食べて死ぬほうがいい、と思う人がいれば、死ぬのはいや、もう少し生きたい、と思う人もいるだろう。

 で、我がどっちを選んだかといえば、「肉断ち」だった。きっと、つらい思いをするだろう、と思っていた。続けられずに断念し、元の木阿弥になる可能性も予想した。が、これが大丈夫、意外にあっさりと、肉の旨さと別れることができたのだ。これはなぜか、どうしてか?

 このギモンのほうが、我には興味があった。以来、その理由をしばしば考えるようになった。牛肉、ステーキに未練がないのは、なぜだ?
2009.06.01 / Top↑
 結論からいえば、それは「洗脳された味覚」だったからだ。マインドコントロールされた旨さ、と言い換えてもいい。

 話は少し戻るけれど、戦後の日本社会は、欧米一辺倒の様相を呈し、その価値観に染まり、肉食文化もまた取り入れていく。牛肉を食べる、食べられることが経済的豊かさのバロメーターとなり、同時に、それは旨いもの、との観念もまた植え付けられていく。確かに、旨いといわれれば旨いものにちがいなく、何の抵抗もなく肉食を美食とすることが世の流行となっていった。

 しかしながら、それは我々にとって、日本人にとって、本当に旨いものなのかどうか。日本人の身体、民族としての肉体にとって、それは真に適したものなのかどうか。このことに、苦もなく肉を断てた我は、ギモンを感じはじめたのである。
    
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オレンジ&タマゴ売り


 戦後社会が欧米の色に染まり、矛盾を抱えていったように、肉食文化そのものが日本人の本来の性格、体質までも変えていったのだという気がしてならない。これまた文化受容国家の一側面。質よりも旨さを喧伝され、確かに旨いと感じる味覚に飛びついていった国民は、旨い代わりに中身はいかなるものかとということには目をつぶってきた。いや、目をつぶるように仕向けられてきたといったほうが正しいか。

 中身より見てくれ、体裁をかまい、ホンモノが見えずニセモノにだまされる国民が多数を占めるようになったのは、戦後教育、マスメディアのあり方、政治と宗教にも関わる問題であるわけだけれども、それは国民のせいだけではない。

 肉を旨いと思って食べさせるのも、それを加工した食品を売り込むのも、それによって利する者の戦略であり、米国の言いなりになった戦後日本の、やむを得ぬ成り行きだった。それは今現在の農薬や化学肥料や食品添加物にまみれた食糧事情とも関連して、深刻な話になってくるのだが、それはさておく。
2009.06.05 / Top↑
 ともあれ、肉断ちをした我の身体は、当然のようにジリジリと体重が減りはじめた。それは実に少しずつであり、最初のうちは、増えていないことがわかる程度だった。が、半年ほど経つと、1キロばかり、一年経つと、1.5キロ、二年が経つと、3キロ、といったふうに落ちていった。
 二年間でたった3キロとは話が違うじゃないか、と思われるかもしれない。

gourmet5-2
筆者のアパートに来る野菜&果物売り


 これはなぜかというと、個人差もあるだろうが、我は肉断ちを徹底しなかった。正直いって、できなかったのだ。つまり、牛肉は断てたが豚肉は断ちきれなかった、という事情がある。

 ビーフステーキは断てたのだが、トン足やら豚ドンの類は、実は前々から牛に劣らず好きであったから、ついつい、週に一度はいいか、ということになった。たまには鶏肉も、焼き鳥というものの誘惑に勝てなかった次第なのだ。むろん、極力、控えてはいたが、我の場合は、ビールが加わる。これを断つくらいなら死んだほうがマシ、という好物であるから、まあ、全体としては肉の「半断ち」であり、3キロでも上出来といわねばならなかった。

 そして、これは言い忘れるわけにいかないのだが、体重の減りはたいしたことがない代わり、健康面は明らかに上昇した。日々の食事は米、ソバ、パン、うどん(これはカロリーが高い)、野菜、惣菜、納豆、タマゴ、白菜等のお新香、キムチ、といったところで、あとは魚貝類ほか海の生きもので、これも肉といえばいえるわけだけれど、脂ぎった大トロのようなもの以外はよしとしたい。

 前よりも元気そうだと、人からもいわれた。顔の色艶がよくなった、と。肉を食べないと、なぜ胃の調子がよく、疲労感も前ほどではないのか。
2009.06.06 / Top↑
 これはおそらく、肉の代わりをしたものが身体にはだんぜんよかったせいだろう。肉で酸性化しがちだった身体が、アルカリ性の食品によって中和されたせいかと思われる。つまりは血液の問題(ほとんどの病気がこの問題)で、以前はドロドロであったのが改善されて、サラサラ度が増したせいにちがいない。職業病である腰痛までも軽減したことは、体重が落ちたせいだけではない。
      
gourmet5-3
ナマズの炭火焼き


 このままでは数年以内に死ぬ、と感じていた我は、そうして何とか持ちこたえる。そして、これまた不思議なことに、あれほど旨いと感じていたビーフステーキには、未練がないどころか、見たくもない、食べたらきっと反吐が出る、とまで感じるようになったのだ。(実際、最近になって、同席者が注文したサイコロ・ステーキなるもの<サイコロのように小ぶりに切ってある>をつい口にしてしまったのだが、胸がもたれて嘔吐を感じ、一日中調子がわるかった。)

 いま、「不思議なことに」と書いた。が、実は、不思議なことでもなんでもない、当然の結論であることに、さらに歳月を経て実感することになる。本来の我に、日本人らしい我に戻っただけである、と。戦後社会の洗脳から解放されて、欧米の肉食人種(肉を腐らせないための香辛料がほしくて東南アジアを我がものとした)の占領政策の後遺症から解放されて、真の我、草食人種としての誠の日本人に立ち返っただけである、と。
2009.06.07 / Top↑
 もとより、わが国は農業立国であり、江戸時代には鎖国しても食糧を自給できたことはもちろんのこと(飢饉というものはあったが)、農民は武士の次の位におかれて大事な存在であった。四季折々の自然と、海のもの、山川のものに恵まれて、本来は異国から食糧を運んでもらわなくても充分にやっていける国であった。

 そして、その主なる食べ物といえば、どこまでも自然のもの、あくまで天然のもの(むろん農薬も化学肥料も使わない)であり、精進料理に代表されるところの、量より中身、旨さよりも質、贅沢より質素を重んじる、いわば日本人としての思想(仏教や儒教等)とか、本来の食に対する姿勢が料理にもこめられていた。そこに、牛肉などは介在する余地もなく、牛もまた秣(まぐさ)を食べて生きる草食動物として、田畑を耕すために居るだけだった。

 それを食べるなどということは、一方で牛をつかって農業をやっていた父親にしても、学校からの帰路に肉屋ができるまでは、考えもしなかったはずである。

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天日干しされる鶏肉


 つまり、我々の身体を構成する細胞組織、先祖からのDNAというものは、肉食をメインとすることに適さない、それを食するとすれば、タンパク源としての鶏や豚や魚があれば充分であった。(特に豚は、原始社会においても重要なタンパク源であって、家族同然の扱いをするニューギニア高地人のような民族もいて、我の訪ねた村では老女が豚と添い寝していた。)

 あとは、野山にある植物、田畑にできる米と野菜、果物を食することで、充分に命をつないできたのであって、我々の身体はそうして祖先から受け継いできた、独自の遺伝子で出来ているのだ。つよい肉体も従って、その伝統を守ることによって可能となるのであって、実際、戦後生まれの日本人が食文化の断絶、変化によって、そしてまた化学物質で汚染された食糧によって、弱体化していったことは方々で言及されているが、確かな事実だ。
2009.06.12 / Top↑
 卑近な例でいえば、我が故郷の村では秋祭りに大きな山車(たいこ)が出るのだが、昔は村の若衆が車などつけずに村中を担いで練り歩いたという。近年は車をつけて、宮入りのときだけ外して担ぐのだが、それでも落としてしまうことがあって、今の若衆は弱くなった、と父親は話したことがある。

 ここで大急ぎで断っておかねばならないのは、肉食がとりわけ人間の身体にわるいなどといっているのではないことだ。確かに、肉食より草食を主としたほうがつよい子供に育つことは、実験で証明ずみであるそうだが、ただ、例えば糖尿病を抱えた患者に対しては、肉類はどんどん摂ってかまわない、大敵は炭水化物であって、それを一切食べない療法を行なって成果を上げている医者もいる。

 従って、我の場合は、いわば美食断ち、カロリー減の一手段として肉を控え、それに馴染んだ理由について持論を述べたのであって、これを念押ししておかないと、肉を扱う業者に叱られる。

gourmet6-2
炭火焼きされる魚


 要は、自分の目的に適ったメニューを選択すればいいのであって、例えばご飯(米)を食べないと力が出ない、どうしても身体が要求する、という人は炭水化物がどうこうという問題ではないだろう。いずれにしても、食というものは習慣化するもので、それもいったんこうと決めると、相当にガンコなもののようである。

 いったん身体が馴れたもの(あるいは洗脳されたもの)からサヨナラするには、それ相当のきっかけ、理由がなければならないのは、死ぬまで牛肉が好きだった父親と、それを断った我の例が示すとおり、いや、ベジタリアンがさらによい例だが、これは後述としよう。
2009.06.13 / Top↑
 話を戻せば、この国には、牛肉(ヌァ)を食べる人が極めて少ないことも何ごとかを示唆している。それが身体にいいとかわるいとかの問題より、美食をいましめる仏教の教えに加えて、単純に、旨いか旨くないかの話であるようだ。つまり、国民の多くは、牛肉をそれほど旨いとは思わない、だから食べたいとは思わない、ということらしいのだ。

 それだけのことで、この国には、それよりずっと旨いものがいくらでもある。肉ならば、豚や鶏のほうがはるかに旨い。豚肉の旨さたるや、鶏肉の美味たるや、いまのところ世界60カ国ほどを経めぐっている我の舌に判定させれば、一位の座を争う(といってもどこと争うのかはわからないから、一位と言い切ってもよい)。その旨さの前には、牛肉も影をひそめざるを得ない。お呼びではないのである。

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店頭で売られる鶏肉の蒸し焼き


 わが国のそれとも比べものにならない。鶏が狭いケージに入っているもので、飛ぶことがない鳥だと思っている人が多い国であるかぎり、決して勝てない。鶏もれっきとした鳥であり、地面を歩くこともあるけれど、バタバタと羽を広げて飛んでみせ、夜には、サアーッと木の枝へと飛びのって、夜明けまで寝る、という習性を自由にさせながら飼っている国と、大きくするためだけの餌を与えてブロイラーにする国とでは、勝負にならない。豚もまた、この国の犬ほどではないが、おおらかな暮らしをしているから、近代的な養豚場のそれとはわけがちがう。

 かくいう我も偉そうなことはいえないのであって、その旨さのほどを実感したのは、何年か前にタイの東北部(「イサン」という)を旅したときのことで、名物のカイ・ヤーン(焼き鳥、それも丸焼き)のあまりの旨さに、呆然と宙をみたくらいなのだ。

 早くグルめぐりの最初の一品、トムヤムに戻れと叱られているにちがいないから、素直に従うことにしよう。
2009.06.14 / Top↑
 前述したように、その辛さの程度については、日本人の多様さを証明するテストで示した通りだ。整理すれば、十人中、現地人なみの辛さに耐えられるのは、一人か二人、食べていくうちに呆然から恍惚に移行できるのが、これまた一人か二人、あとは匙を投げて、呆然自失のまま、ということになる。

 従って、我は、レストランでそれを注文するとき、現地人なみの辛さのものと、辛さを抑えたものの二種を求める。この配慮がなければ、日本人をもてなすことはできない。いじわるをしたあとで、もう一度、店員を呼び、辛くないものをもう一つ、と、あるいは始めからもう一つ、発注するのだ。

 辛い、というのは、ペッ、と唇を丸め込んで低い声を発しないと、アヒルの料理が出てきたりするから要注意だ。間違うと、ダイヤモンドの意となるが、これは実際には出てこない。そして、辛くない、は、マイ・ペッ、という。マイ(否定の語)の発音と声調は、マイちゃん、と日本女性の愛称を呼ぶ感じでよい。
      
gourmet7-1
唐辛子各種


 辛くしないで、といったところで、唐辛子を入れなければトムヤムではなくなるから、当然ながら、いくらかは入っている。で、「いくらか」がどれくらいかについては、ふつう店のコックに任せることになる。唐辛子を何本、それも赤いのを二本、青いのを一本というふうに、細かい指示を出せないわけではないが、それは家庭でつくるときに心がければいいこと。

 ただ、辛さの度合いは、唐辛子の種類と量で決ることだけは憶えておいてもいい。その豊富さたるや、なるほど肉食をする欧米列強がこの地域を植民地にしたくてしかたがなかったことがよく納得できるほどに、すばらしい。

 唐辛子は、プリック、という。これは平音であるから、むずかしくない。クリック、という感じで、プリックといえば通じる。

 いま、唐辛子を入れなければトムヤムではなくなる、といったけれど、トムヤムではなくなってもかまわない、とにかく唐辛子は入れないで、というお客もいないわけではない。サビ抜きの鮨などスシではない、というのと同じことで、うるさいことはいわないことにすれば、唐辛子抜きのトムヤムもあり得る。

 その場合、入れないで、「マイ・サイ」を使う。「マイ・サイ、プリック」といえば、店員がどんな顔をするかは別にして、とにかく、唐辛子抜きのトムヤムが出てくる。これがどういう味であるか、いずれ試してみようとは思うが、今のところ、我には経験がない。(辛いのはまったくダメという人にはいっさい辛みのないスープがあっておすすめだが、これは後回し。)
2009.06.20 / Top↑

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