上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
 我の同業者(モノ書き)の多くは、こういうこと(「文章道場」のようなこと)を始めたのを知ると、まずもって、ニヤリとする。ニコリではなく、ニヤリであるにちがいない、というのは、そこに同業の同業たる深いゆえんが潜んでいるからである。

jiden1
筆者のデビュー作、1980年<すばる文学賞入選作>


 とうとうササクラ・メイもか、と、石和鷹(いさわたか)さんが生きていればきっと高笑いをする。我のことをアキラと呼ばずにメイと呼んだ(呼んでくれた)わが国唯一の同業者で、50歳から60歳まで、ちょうど10年間、元「すばる」(文芸誌)編集長の肩書きをもって(それ以上の昇進を棄てて)作家に転身し、数々の作品を遺した人だ。その編集長時代、我を世に出してくれた人でもある。

 亡くなる直前まで、「地獄は一定すみかぞかし」(新潮文庫)を完成させるために筆を離さなかったモノ書き魂はしかし、ガンとの闘いを描くその作品通りの壮絶な最期を迎えることとなった。


笹倉明の「文章道場」開講&塾生募集!
スポンサーサイト
2009.08.12 / Top↑
 齢60(数えで61)というと、ちょうど今の我の歳である。
 非常に意味深いことは「還暦」という言葉の示す通りで、いうなれば、よくここまで生きてきましたなぁ、ごリッパです、と褒めてもらうべき歳、ということになる。人生をそれこそグルリとめぐって、もとの干支(えと=60通りの組み合わせがある)へ還るという年、そろそろ終わってもかまいませんよ、ということで、企業人ならお払い箱となるわけだが、実際、分水嶺のようなところに来ていることはまちがいがない。

 さて、そこから水はどっちに流れるのか、ただの山なら決まりきっているけれど、ニンゲンの場合はチトむずかしく、しばし立ちどまって、来し方ゆく末をながめまわしてから、ゆっくりと下りの道を歩むことになる、そう、あくまでゆるりゆるりと、そして、まちがいなく下へと傾いている道を、だ。
2009.08.15 / Top↑
 ここで上り道とかんちがいすると、つまり、まだ若いモンに負けちゃいないぞと、カラ威張りをして無理をするようなことがあれば、ほどなく冥土へと旅立つことになるのは、幾多の例が示す通り。肉体はしばしば精神を裏切るからである。

 そこで我の場合、ゆっくりと下っていくに際して、ひとつのモンダイが立ちはだかる。それはまず一つ、いま世間をさわがしているネンキンなるものがない、もらえない、という動かしがたい事実である。
ここで誤解してもらうと困るのだが、それが「文章道場」を始めようと思った理由ではもちろんない。ほんのわずか、その理由のすみっこをかすめているかもしれないけれど。


笹倉明の「文章道場」開講&塾生募集!
2009.08.16 / Top↑
 どうしてもらえないの?
 子供がかわいそうなお爺さんをみて尋ねるように、無邪気に尋ねてもらえれば、いろり端でちびりちびりと安酒でも飲みながら、何時間でも何日でも話しつづけて飽くことがないお爺さんのようになってさしあげよう。

 それはね、結論から先にいうとね。若いころ、ビンボウでお金が払えなかったからだよ。(以降は当分、五歳くらいのお嬢ちゃんに語りかけることにしよう。我は子供が好きだから。)
2009.08.19 / Top↑
 ビンボウといってもね、どうにかこうにか一日二回くらい、食べものにはありつけていたんだ。ないときは人のうちへ行って、パンの耳をもらってきたりしていたそうだよ、あれ、パンの耳って知らない?

 食パンのいちばんおいしいところ、周りのおこげを切り落としてサンドイッチをつくるでしょ。それをもらって食べていた、なんて同級生の三田誠広という同業者(といっても知らないと思うけど、アクタガワショウサッカだよ)は何かにおもしろそうに書いているけど、実はウソだ、そこまでじゃなかった。
 だけど、そんなうわさが立つくらいにビンボウだったことはたしか。

 どうしてそんなにビンボウだったの?
2009.08.20 / Top↑
 いい質問だね、お嬢ちゃん。その理由はとっても大事なことだからね、しっかりと覚えておいてちょうだい。例えばね、人に売ろうと思って何かを作るでしょ、例えばお嬢ちゃんのしているリボン、これを作った人はお嬢ちゃんのお母さんが買ってくれたからお金になって、それでご飯を食べていけるわけ。

 でも、誰も買ってくれなかったらどうなると思う? そう、作るだけでお金にならない、それどころか、作るために使ったお金もムダになっちゃうよね。それと同じことを小父ちゃん(お爺ちゃんはかんべん)は、十年ほど(いやもっとかな)、つづけていたんだ。
2009.08.21 / Top↑
 わかった、それでビンボウになったんだ!

 ご名答。だから、住むところもね、それはひどいものだった。風速20メートの風がくれば壊れてしまいそうなボロボロのアパートでね、階段を上がるときはミシミシ、ギイギイ音がするの。

 いまはもうそんなアパートはどこにもないと思うけど、東京のアサガヤという街にはまだあったんだ。家賃はたしか8,000円だったかな、もちろん狭いよ、畳みが3つ。お嬢ちゃんの歳の数より少ないね。そこでね、さっき話したように、作っても売れないショウセツを書いていたの。
2009.08.26 / Top↑
 ショウセツ?

 そんなびっくりした顔しないの。そんなもの、作っても売れっこないじゃない、といいたそうな顔にみえるね。その通り、ふつうは売れるはずがないの。

 お嬢ちゃんのリボンのほうがずっと売れるから、小父ちゃんもあきらめて、ご飯が食べられる仕事をしようかとも思った。ぜったいにサッカになんかなれっこない、むりむり、そんなものになろうと考えるのは針の穴にラクダを通そうとするようなもの、やめなさい、やめなされと、そこらじゅうでいっている人の声が聞こえていたんだけどね。
2009.08.27 / Top↑
 サッカって何?

 あ、ごめん、お嬢ちゃんの読む絵本、あれを作る人のこと。本屋さんにたくさん置いてあるでしょ。でも、あれを作りたい、作って売りたい人は、もっともっと、ずっとずっとたくさんいてね、ふつうは作っても売れない、本にしてもらえるのは、ほんの少しだけ、そしてね、本にしても売れるかどうかはわからない、これまたほんの少し。

 そう、たいへんなんだよ、モノは作ってもそれを買ってもらうということはね。で、小父ちゃんの場合、十年間、作っても売れないものを作っていたんだ。
2009.08.28 / Top↑
 十年も?

 そうだよ。でも、学校を出てからしばらくは会社に勤めていたから、畳が6つくらいある部屋には住めていたの。5年間くらいだったかな、その間はもちろんネンキンのお金も払っていたんだけどね、会社をやめてからは、もう払えなかった。

 サラリーマンのときは、いやでも取り立てられていたけど、そんなお金があったらその日のおかず代にしたほうがいいということになってね(わかるよ)、いつのまにかネンキンのことなんか忘れてしまったの。まだまだ、老後のことなんか心配する歳でもなかったしね。
2009.09.02 / Top↑
 どうして会社をやめちゃったのかって?

 それはむずかしい質問だねぇ、ひょっとすると、いちばん答えるのがたいへんかもしれない。簡単にいうと、ショウセツカになりたくて、といってしまえるんだけどね、じゃあ、会社をやめなければショウセツカにはなれないの、といわれると困ってしまうし、さて、お嬢ちゃんにわかってもらうにはどうすればいいのかな。

 そうだ、ケンカしてやめちゃった。いちばんわかりやすいかな?
2009.09.03 / Top↑
 わかんない。

 あ、そう。ケンカのなかみがわかんないのね。困ったねぇ。ちょっとむずかしくなるかもしれないけど、小父ちゃんには才能がなかったから、サラリーマンをやりながらショウセツカになる自信がなかったというのかな、どっちかにしないと中途半端になってしまう気がしたんだよ。

 サラリーマンとして成功するならその道一筋、ショウセツカになるならそれだけを目指してすすむということでなければ、とてもとても小父ちゃんの能力ではおっつかない。どんどん歳をとってしまうだけ、と思ったの。
2009.09.04 / Top↑
 サラリーマンだったときから、そういう感じがしていたもんだから、あせりもあったんだね。仕事なかまとお酒を飲んで帰るとね、もうショウセツを書いている暇なんかないわけ。それでも一日に三行くらい原稿用紙に文字を並べていたんだけどね、たった60字だよ。お嬢ちゃんの作文だってもう少し長いだろう?

 そうだ、ケンカのなかみだったね。正直にいうと、小父ちゃんがわるかったの。お給料をもらっているのに、シゴトをさぼっていたの。遅くまでショウセツなんか書いているから、朝はしょっちゅう遅刻する、すると、上司から叱られる、学校と同じだからわかるよね。

2009.09.09 / Top↑
 わかるよ。

 小父ちゃんのシゴトは、コピーライターといってね、お嬢の大好きなアイスクリーム、それを買ってもらうためにね、ほっぺが溶けちゃうおいしさです、とか何とかコトバをつくるシゴト。わかった。

 ある小さな広告会社でやっていたんだけどね、あまり時間にとらわれない、わりあい自由な出勤が許されていたの。朝、遅刻すると、夜は遅くまでいて埋め合わせをする、ということはやっていたんだけどね。

 それでも営業の人たちからは、ちゃらんぽらんにみえたんだろうね、しょっちゅうイヤミをいう人がいてね、若造のくせに、平気で遅れてくる、何をやっているんだというわけだよ。

 はい、夜はショウセツを書いているから、朝、どうしても起きられなくて、とはいえるはずないよね。そんなヒミツをいったらすぐにクビになるから、黙っているしかなかったわけ。
2009.09.10 / Top↑
 そうこうするうちに、そう、だんだんイヤミがきつくなってきて、とうとう、ケンカしてしまったの。こっちは営業のように朝早く出てくれば仕事になるってもんじゃないんだよ、朝昼晩、酒を飲んでいてもコピーを考えているんだよ、とか、それはもう、生意気な小僧が吠えたという感じだったのかな。

 酒を飲みながら考えていたのはほとんどショウセツのことだったんだけど、そういう言い訳をして自分を守ろうとしたんだね。でも、守ろうとした結果は、もうダメ、つづかない、このへんでこの会社はやめたほうがいいと決めたんだ。そうしてバイバイをしたのが、最初の会社。

 まだあるの?
2009.09.11 / Top↑
 ある。まだ二つあるの。
 笑わない。あと二つだから、がまんして聞いてちょうだい。

 はじめの会社は十ヶ月しかもたなかったけど、次は一年間ももったんだ。
 また笑う。よく笑うお嬢だね。いいよ、いくら笑ってもいい、笑ってほしいから話しているんだからね。

 二つ目の会社は、丸の内というところにあった。そう、東京のサラリーマンのメッカだよ。すごいだろう。そこへもぐりこめたのはどうしてだったのかな、思い出せない、コネがあったわけじゃない。失業してしまった小父ちゃんに、誰かが教えてくれたのかな。

きっとそう。ペーパーテストはなし、面接だけですんなり決ったと思う。大手メーカーの、出来てまもない宣伝部でね、ここは居心地がよかった。
2009.09.16 / Top↑
 さすが、一流会社というのはちがうね。宣伝部のスタッフもなかなか出来のいい人ばかりでね、グラフィック・デザイナー(絵や写真を文章と組み合わせてデザインする人)とのコンビで、いろんな広告を作っていたんだけど、給料もなかなかよかった。

 年俸制、といってもわかんないかな、プロ野球の選手なんかがね、一年間にいくらもらえるか、契約して決める給料のことなんだけどね、それが百七十万円くらいだったかな。大卒の月給が五万かそこらの当時としては、恵まれていたね。

 銀座では飲めなかったけれど、有楽町のガード下(そう、電車が上を走っているトンネルの中)では毎日のように酒が飲めた。そう、ほとんど毎日、毎晩、デザイナーたちと飲んだね。
2009.09.17 / Top↑
 小父ちゃんはお酒のみだったんだね。

 そうだね、酒のみはよくないよ、たいした未来もきっとない。わるくするとアル中といって、体をこわしてしまったり、育児(ごめん、子育て)をほったらかしにしたり、そうそう、育ててもらえなくなる、お嬢ちゃんのお母さんは大丈夫かな。

 それと同じくらいわるいのは酒乱といってね、そう、シュラン、お酒に体がみだれてしまうんだ。みたことない。それはよかった、みないほうがいいよ、あんなもの。小父ちゃんはその二番目の会社で、そういう人をみたんだ。
2009.09.18 / Top↑
 人事部というところにいた人でね、ふだんはおとなしい、まじめでよく働く人だったよ。ただ、お酒が入るとね、人が変わっちゃう。

 例えば、上司の人と飲むことがあるでしょ、すると、ある程度までお酒が入るとおかしくなってくるの。上司を目の前にして、上司のわるぐちをいいはじめるんだ。ふつうは陰でやるんだけどね、本人を目の前にしてやる。

 それがしつこいったらありゃしない、だんだん口がきたなくなってね、くり返し、くり返し、同じことばっかり、酔いつぶれてくたばるまで。それがなかなかくたばらないから、たいへん。

 本人もかわいそうだけど、周りはいやになっちゃう。手がつけられない、というのはこのことだね。
2009.09.23 / Top↑
 リッパな会社だったんだけどね、ひとりだけそういうアル中の人がいた。

 だからといって、別に暴力をふるうような人じゃなかったから、放っておけばいいんでね、上司にしても、またはじまったかと思うだけで、まともに聞いちゃいないからいいんだけど、小父ちゃんにとってヒゲキだったのは、その人が人事部にいたってことなの。

 ジンジブ、ちょっとむずかしいかな、会社で社員にあっちへ行けこっちへ行けって指図したり、社員の働きぶりをみて給料なんかを決める人なんだけどね、この人が一年後に次の年俸、そう二年目にもらえる給料を決める責任者だった。
2009.09.24 / Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。