当時、1977(昭和52)年は、我にとって確かに大いなる転機となった年だった。齢28にして、失職。やがて、阿佐ヶ谷北の六畳間から南の三畳間へと移動して、そこで本格的な執筆がはじまった。
実のところ、その前年、妻が出産を機に実家へ帰っていたのだが、そのまま留まることになったのは、東京へ呼び戻すこともできない我が身のていたらくゆえだった。失職して三畳間へ移った夫の元へなど、幼子を連れて戻れるわけがない。たいへんな人と結婚してしまったことを、はやばやと後悔させてしまったのである。
(このへんのことは、書くとすれば私小説となるので、老後の楽しみにとっておく。お嬢も知りたいとは思わないでちょうだいね。)
実のところ、その前年、妻が出産を機に実家へ帰っていたのだが、そのまま留まることになったのは、東京へ呼び戻すこともできない我が身のていたらくゆえだった。失職して三畳間へ移った夫の元へなど、幼子を連れて戻れるわけがない。たいへんな人と結婚してしまったことを、はやばやと後悔させてしまったのである。
(このへんのことは、書くとすれば私小説となるので、老後の楽しみにとっておく。お嬢も知りたいとは思わないでちょうだいね。)
2009.11.26 / Top↑
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