通番(554)

 付言すれば、髪留めなるものの多種多様さも、この国は群を抜いている。考えられるかぎりのものを、知恵をしぼって生み出すにちがいなく、これまた人々がいかに髪を大事にしているかの証しといえる。 ・・・
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ブロマガって何?
2011.04.01 / Top↑
緊急・特別エッセイ(一般公開)
(「実感! タイ暮らし」と「食べタイ料理・グルめぐり」は、とりあえず一週間ほどお休みさせていただきます。料金を支払っている方には申し訳ありませんが、進行中の緊急事態を鑑みてご容赦、ご了解ください。)
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カンボジアの闇体験と原子力

 あれは、一九八九(昭和六四)年の夏、七月のことだった。

 ある団体が定例としているカンボジアへの旅に参加して、しばらく現地に滞在したことがある。当時はまだポル・ポト派(民主カンボジア)がベトナムに後押しされたヘンサムリン政権と対抗しており、カンボジア西部のジャングル内にあるその拠点を訪ねたのだった。

 要注意は、地雷を踏まないことと蚊に刺されないことのふたつで、まるで悪鬼のごとく喧伝されているポト派については、実は親切でやさしい人たちであるから心配はいらないと聞いていた。後のほうはまったくその通りで、大虐殺の張本人とされた元外務大臣・イエン・サリなどは、夕食時、我のお皿にみずからの手で料理を取り分けてくれたものだ。

 彼らは要するにクメール民族主義者であり、侵略者ベトナムの脅威に立ち向かっていたのであって、その革命の途上で行き過ぎや失敗によって犠牲者は少なからず出したものの、自国民を意図的に大量に虐殺するなどという、宣伝されてきたような事実はないのだということを検証する旅でもあったから、彼ら幹部との直接の面談は大きな収穫だった。

 これについては、政権側のお膳立てで取材し、さまざま便宜をはかられたジャーナリストたちと、我が参加した団体に関係するジャーナリストたち(権力側ではないので貧しい)とが決定的に対立してきたわけだが、むろん声の大きいのは政権側であって、勝者の論理、言いたい放題がみごとにわが国民(のみならず世界の大多数)を洗脳し、定説としてまかりとおってきたことは周知の通りだ。

 それはともかく、そのポト派のゲストハウスに一泊したとき、ちょうど新月の夜だったか、それとも空が曇っていたのかは定かでないが(雨季だったのでたぶんこれが正しい)、夜のとばりが下りてからの暗さといったらなかった。これが漆黒の闇というものかと、それまでの人生で経験したことのない暗さにとまどい、長い夜を過ごすことの不安すらおぼえたものだ。建物自体は、丈夫なニッパ椰子で葺いた小屋(ニッパハウス)で、ベッドもまずまず快適だったから、おやすみを告げた後はぐっすりと眠ることができたのだが、一つだけ思いがけないことが起こった。

 夜中に一度目がさめて、トイレへ立とうとしたときのこと――。

 室内には小さなランプが点いていて、どうにか出口までは歩いていけた。ところが、木の扉を開けて一歩を踏み出そうとした瞬間、我の身体は凍りついた。暑い夜なのに凍りつくとは表現にモンダイがありそうだが、とにかくピクリとも動かなくなってしまったのだ。

 トイレの場所は教えられていた。ほんの二十メートルほど先、方角もおよそわかっている。が、眼前の闇が一歩たりとも踏み出すことを許さなかった。その怖さ、恐ろしさに茫然と立ちすくんだまま、用足しだけは(しないといけないので)扉のそばで、どこへ引っかけているのかもわからないまま果たした。放尿するあいだも、闇から何かが襲いかかってくるような気がして、寒くもないのに全身が震えていた。
2011.04.02 / Top↑
 子供のころ、わが家のトイレは戸外にあって、夜中に立っていくのがいやだった憶えがある。門灯はあったがうす暗く、少し離れるともう闇で、月の夜だけ山の端がうっすらとみえた。

 山裾にはお墓があって、火のタマが出ると姉たちにおどかされていたから、よけいに怖かった。が、それでも明かりがあるだけマシだった。怖々ながらもトイレに立つことができたのだから。

 だが、それから何十年も経って、いい大人になって(当時四十歳だったから、よい歳こいて、といったほうがよいか)、異国のジャングルではじめて本当の闇と出会い、その怖さに、すぐそばのトイレにも行けなかったとは、一体何たるザマであったか。

 しかし、さらにつらつら考えてみるに、その時その歳まで、日本人としての我は、本当の闇を知らなかったという、笑えない事実がシカとある。闇の怖さを知らずに育ち、まさに文明の象徴としての明るさを当たり前のように感じて過ごしてきた。電気というものが夜を照らし、闇を追放し、ためにその恐ろしさとは無縁の暮らしをつづけてきたのである。

 人々は日常、そのようなことに思いをいたすことなく、その必要もなく、ほしいままに明るさを享受し、何の疑問もおぼえることはなかった。快適な生活を保証するものとして、いわゆる電気製品なるものが次々と生み出され、普及していった。それはいまも留まることを知らない。

 ところで、カンボジアで闇の恐ろしさを体験する前、一九八〇年代に入ってしばらく経ってからだったと思うが、ある知り合いの女性が我に対して、こんなことをいってきた。彼女の夫君がこのほど東海村(といえば原子力研究のメッカとわかる)に勤務することになったのだが、いま原子力発電の是非をめぐって賛成派と反対派に分かれており、今後も議論がつづくことになる。(すでに東京電力の福島第一原発は稼動をはじめて十年余り経っていたが。)

 ついては、先生(我のこと)に賛成派を支持するようなモノを書いてもらえないだろうか。原子力発電のゼッタイの安全性(と彼女はいった)については夫が多くの資料を持っているし、取材をしてもらうこともできる。ぜひ、お願いしたい、とのことだった。
2011.04.04 / Top↑
 彼女の夫君は東大卒、原子力の専門家(原子力工学の設計部門であったようだ)として今後やっていく予定で、原発反対派が勝利すれば非常な打撃を受ける。これまでつづけてきた研究の成果、能力が生かせなくなってしまう。一人でも多くの人を賛成派につけたい、という気持ちであったようだ。

 これは、いわゆる「立場と都合」というもので、世にいくらでもある。科学者は、その研究が世の中にどのような影響を及ぼすものか、あるいはその成果が人を幸福にするのか不幸にするのかという問題とは別の次元で、みずからの欲求を満たそうとする。その立場を確保するには、都合のよい環境がなければならない。

 なかには、みずからの研究の成果が人類の幸福のために使われるのではなく、おそろしい悪魔の兵器に変わってしまったことを終生気にやんでいた人物もいる。物理学者、湯川秀樹(一九〇七~一九八一)などはそういう日本人の代表格か。

 それはともかく、知人女性からお願いをされたときの我は、その是非を判断するための知識もなければ、とくに意見を持っていたわけでもなく、ただ知り合いという関係では味方につく動機ともならず、そうだね、考えてみるけれども、とあいまいに答えて、それきりになった。

 その後、賛成派が勝利したことは周知の通りだ。是非をめぐる論争は、いうまでもなく安全性であり、地震国ニッポンでいかにそれを確保するかであったが、わが知人女性の夫たちは、万全の安全性を主張して反対派を押しきった。そこには、工業国としての経済成長最優先の論理がはたらいていた。安全さえ確保できれば、火力や水力よりはるかに多量の電力を供給できる。さらなる経済発展を実現するためにはどうしても必要、と結論づけられて、日本各地に次々と原子力発電所なるものが建設されていった。

 地方住民の建設反対、誘致反対の声が唯一の問題だったが、これまた町興しに有効という、自民党議員らの利権がからむ経済最優先の論理に押し切られてしまう。
2011.04.04 / Top↑
 そして、それから幾年月(わが国最初の原子炉は一九六六年東海村で稼動を開始)、二〇一一年三月一一日。3.11と後世まで記憶されるであろう出来事、東北地方太平洋沖大地震が起こる。

 かつて原子力推進派がゼッタイ安全を保証したはずの発電所がもろくも崩壊した。万全を期したはずの装置が驚異的な津波によって機能しなくなったことについて、想定外であったと東電ほか関係者たちは口にした。

「想定外」という都合のいい言葉が生まれたのは、近年のことだ。為政者や経済人が、みずからの至らなさ、誤りや偽りの言い訳として口にすることが流行した。ただの言い訳にもかかわらず、その言葉を吐くことによって、エクスキューズされる、許してもらえると思っているかのような気軽さは一体何だろう。平然と、それはしかたがなかったのだといわんばかりに口にする。

 何とも便利な日本語があったものだ。こういう事態を想定できなかったのは、当事者の能力に問題があったからであって、言い訳にすぎない言葉を吐いて開き直っている場合ではない。あなた方は、あらゆる事態に備えて、万全を期して、ゼッタイに安全であると保証して、原子力反対派を押し切ったのではなかったのか?

 安全性は、実は卓上の論にすぎなかった。プルトニウムの何たるかも知らない一般民衆は、立場上、そうならなければ都合のわるい人たちに、声の大きな権力側に、結果的にはだまされていたということだ。

 反対派をねじ伏せるための宣伝合戦は、マスコミを使ったものから各家庭へのポスティングまで、あるいは我のごとき一介のモノ書きまでを取り込もうと試みながら、展開されたのだった。
2011.04.05 / Top↑
 わが故郷に近い神戸のときもショックだった。当時、我はベトナムを取材中で、メコンデルタにいたのだったが、親族や知友の安否を気遣いながら手も足も出ない状況に苛立った。

 やっと連絡がとれたとき、神戸大学の学生だった我の姪は、倒壊したアパートの下敷きとなって暗い絶望的な時を過ごしていたところ、通りかかった人たちが瓦礫の中から女の足がのぞいているのを発見し、助け出してくれたのだったが、生死は紙一重の現実を体験した人たちの話にいたく感動したものだった。

 気の毒な話が山ほどある一方で、まだしもであったのは、地震災害の恐ろしさを身をもって体験したことで、生き残った人たちが新たな闘志をもって、あるいは人生観を変えて、復興への努力をなしえたことだったか。

 今回はしかし、その数倍の、まさにメガトン級の衝撃である。その理由は、災害の状況、被災者の数の多さもさることながら、やはり安全性を根底から、今度こそくつがえしてしまった原子力発電所の崩壊である。日本の戦後社会がはじめて経験する、未曾有の事態というしかない。

 いま異国にて、我は三十九年間を過ごした東京の夜の明るさを思い起こしている。まだ夜のとばりも下りない黄昏どきからネオンが灯り、真夜中を過ぎても明るさに変わりがなく、それこそ夜明けがくるまで、街は必要以上に明るかった。人々は暗さとは無縁の生活を送り、ありとあらゆる電気製品の恩恵にあずかりながら、それを快適な暮らしと信じて疑わなかった。

 しかしいま、明るい夜の街も便利な電気製品のある暮らしも、一歩間違えば大変な事態を招く原子力によって支えられていたことに、人々は否応なしに気づかされることになった。

 つくづく思う。東京の街は明るすぎた。どうしてあれほど明るくしたのか、明るくなってしまったのか。その答えは改めていう必要はないかもしれない。我こそは文明の勝利者とばかり、その欲のままに、キリのない経済発展を目指した結果にほかならない。足るを知らない経済大国ニッポンに、ついに訪れた、その傲慢さ、不遜さへのシッペ返し。

 少し遡ってみれば、勝ち目のない愚かな戦争を起こし、お国のためという名分の下に膨大な人命を犠牲にしたニッポンという国は、戦後、手ひどい敗戦の教訓やヒロシマ、ナガサキの恐ろしい体験をいともたやすく水に流し、またしてもお国のため、経済発展のためという大義をかざし、まずは公害によって多数の犠牲者を出すことからはじめて、多くの村々をダムの底に沈め、工業化と引き換えに農業をダメにし(食糧自給率を半分以下にまで落とし)、教育現場を競争社会と同次元の有様に貶めて、あげくの果てに能天気な役人天国と化し、国民の年金までをネコババするような国になってしまった、という事実をみれば、わが国の役人的体質そのものである電力会社が、国家を代表するといってもよいインフラ企業が、事と次第によってはヒロシマどころではない被害が出るという緊急事態に直面しながら、なお責任の回避と事実の非公開(現在の事故状況だけではなく)をなしてはばからないのは、実に、おもしろくもない納得を強いるのである。

 負けているのに勝っているとウソばかりついていた大本営の、国民をドレイ以下の扱いにして死ねといわんばかりであったインパール作戦等の、なんとも悲しむべき愚かしい指導者の実態がまざまざと思い浮かぶ。

 事故後に身を隠した東電の社長は。後方にいて兵士を死においやった牟田口廉也(中将)の根性とそっくりだ。ビルマ(現・ミャンマー)の雨季のすごさは、まさに彼らの「想定外」だったが、ただの無知、無能、無責任の結果だった。

 日本人は少しも変わっていない。
2011.04.06 / Top↑
 いまさら何をいっても空しいかもしれないが、原子力がゼッタイ安全ならば、東京のド真ん中に作ったらどうだという反対派の意見は、皮肉なことに一理も二理もあることになってしまった。ゼッタイとはいえないからこそ、ヘンピな地方へ、そこが犠牲となる可能性を承知の上でその居場所を探し求めてきたのではなかったのか?

 想定外のひと言ですませられる問題ではない。当時の原子力推進派、電力会社役員、政治家、設計者ほか、すべての人に責任をとってもらわねばなるまい。

 この前の戦争で、最大の犠牲となったのは最南端の島、沖縄だった。我はあえて、今回の事態を第二のオキナワ、第二のヒロシマと呼ぶ。東北の田舎が国家のエゴ、企業エゴの餌食となって、ふたたび原子力の驚異にさらされていく。ゼッタイ安全どころか非常に危険な実態をさらけだした今、そんな恐ろしいものは即刻やめてしまう方向へ、国は舵をとるべきではないのか?

 たとえ、それで街が明るさを減じようと、プロ野球のナイターができなくなろうと、国家予算がそれでどれほど削られようと、そんなことはたいしたことでもなんでもない、とあえていう。

 過ちは二度と繰り返しません、と誓ったヒロシマの犠牲者へ碑文をもう一度思い出さねばならない。またやってしまった過ち。ゼッタイ安全のウソ。プルトニウムがいかに恐ろしい悪魔の物質であるかを国民に知らせなかったツミは、死刑に相当する。今やどんな対策も、訓練も、ただの想定にすぎない。
2011.04.07 / Top↑
 自己反省も込めていう。闇の怖さを知らずに育った人間は、自然への畏敬の念も抱くことができない。人間は自然と共にあり、天体の巡り、宇宙の神秘、さらにはその恐ろしさのなかで生きていることにも思いが至らない。文明の勝利者は、裏を返せば、人間もその一部であるはずの自然への裏切り者だ。裏切れば復讐される。人とちがって、自然はそれをきっちりとやる。

 例えばインダス文明の滅びは、建物をつくるレンガを焼くために燃料としての樹木を伐りすぎたことによる大洪水であったといわれる。樹木の適切な伐採、管理を怠って花粉症を招来する程度の話ならまだしも、プルトニウム(「プルートー=冥王星=地下・黄泉<めいど>」からの命名)というまさに自然に背き、人々をジゴクに陥れる可能性のあるもので、たかが明るさをむさぼりつづけてきたとは、一体なんという愚かさであったか。

 その結果がこのような事態であるならば、すべての者に一抹の責任があるという見方もできるだろうか。闇のなかのランプひとつ、ロウソク一本のありがたさもわからないまま生きてきた現代日本人の、企業人や政治家の、あまりに不遜かつ傲慢であった事実に対する手ひどいシッペ返し。と、たとえ空しくても、くり返しいっておこう。
2011.04.08 / Top↑
 次に、バイマクーという香菜(こぶみかんの葉)を刻んだものと、赤唐辛子(あまり辛くない大き目のもの―spur chili<けずめ唐辛子>)を細長く刻んで入れる。辛くしたい人は、青唐辛子の刻みも入れる。そして、またよくかき混ぜる。・・・
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2011.04.10 / Top↑
 さて、これでレシピの調合は終わり、次に、これを家庭でやる場合は、前に述べたように、お茶碗くらいの陶器の器に取り分ける。以上のレシピの場合、だいたい器が三つくらい。・・・
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2011.04.10 / Top↑
通番(555)

 サイ・トゥン、という便利な言葉を知ったのは、あまり遠い過去ではない。

 それまでは、知らなくても、身振り手振りで、入れてちょうだい、入れてほしい、入れなさい、とか、そのときどきの気分によって、お店の人に伝えていたのだが、・・・
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2011.04.11 / Top↑
通番(556)

 トゥンの発音がいささかむずかしい。低声から高声へと、しゃくり上げるように発音しないと、通じない。ぅん? と首をかしげて問い返すときの感じ。・・・
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2011.04.12 / Top↑
通番(557)

 正確には、トゥン・プラースティク、という。わが国ではゴミ出しのとき、プラスチック類を分別するが、こちらではいっしょくたで、・・・
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2011.04.13 / Top↑
通番(558)

 しかし、考えてみると、これは非常に合理的で、重いビンはじゃま、必要なのは中身であるから、軽いビニール袋に、それも氷がいっぱい詰まった袋に移し変えたほうが、はるかによい。・・・
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2011.04.14 / Top↑
通番(559)

 そう、ストローで吸い上げるのだ。ストローなるものに、我々はそれほどのありがたさを感じないで過ごしてきたが、これがなければサイ・トゥンした液体を口に入れることはできない。・・・
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2011.04.15 / Top↑
 こうして一時間後、フタをとると、いい匂いが漂って、みごとに蒸し上がったホーモックができている。ホーモック・プラ、とプラ(魚)をつけて呼ぶ人もいるが、およそ魚と決まっているから、省略することが多い。・・・
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2011.04.17 / Top↑
 秋山駿の選評(抜粋)〝今回私は、積極的に推すべき作品を見出さなかった。なかでは、『海を越えた者たち』と『ギンネム屋敷』との、二つがいい、と思ったが、同時に、なんともしれぬ物足りなさを感覚してもいた。

〝総じていえば、今回の候補作は、いずれも小説らしい小説の形をしている割には、いったい作者がなぜこれを書かねばならなかったか、という、切実な衝迫感とか必要なモティーフの存在とかを、感ずることができなかった。
2011.04.17 / Top↑
 さて、味のほうだが、トンさんがつくったホーモックと、市販の(Carrefour=カフーというスーパー・マーケット)で買ってきたものとを食べ比べてみたところ、同じホーモックとは思えないくらいに違う。・・・
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2011.04.17 / Top↑
 いろんな事を、あれこれと万遍なく描いているが、総じていえば、平べったい――そういう印象があった。新人の制作は、もっと形が毀れていていいのである。ただし、その毀れにかけて、なぜそれを書かねばならなかったかの断面が鋭く輝くならば。

『海を越えた者たち』は、日本の若者のロンドン滞在記である。こういう若者による海外体験談に、このところすっかり食傷気味なので、おや、またか、とうんざりする。そういうところでこの作品は損をしている。それを打破するだけの、新鮮なオリジナルな核といったものが、これには見られない。
2011.04.17 / Top↑
通番(560)

 試しにやってみると、これがわるくない。ストローを伝うあいだに、適当に炭酸が泡だって、泡といっしょに飲むドイツビアのような、実にマイルドなアジになるのだ。・・・
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2011.04.18 / Top↑