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花に飾られた馬渕さんの遺影―バンコク葬儀場


 ポル・ポトの虐殺はなかった。

 そう言いきれるかどうかについて、目撃者ではない我には自信がない。ただ、「虐殺」というコトバについて、その「数」について、あるいは、その者が死んだのは殺害によるものだったのか、そうだとすれば殺したのはクメール・ルージュ(ポル・ポト派)だったのかどうか(死の原因については数多くあるゆえ)、等々については大いに疑問とする。

 むしろ、馬渕氏の「なかった」(著書『わたしが見たポル・ポト』<集英社>の中では「みなかった」という表現になっているが)という言葉に込められた意味を深く考えてみれば、わが国の、世界のジャーナリズムのあり方、それゆえにもたらされた誤解のほうがむしろ重大な問題だろう、と思わざるを得ない。

 たとえば、映画『キリングフィールド』は実際にあったことのように流布されたが、その挿話一つひとつがまったく事実に反することを馬渕氏から直に聞いたとき(著作にも書いてあるが)、我は啞然として、実話だと思い込んでいた頭を切り替えたことがある。現地人アシスタントに面倒見がいい、人間的な人物として描かれているアメリカ人ジャーナリスト(原作者・シャンバーグ自身)は、馬渕氏もよく知るフランス大使館への避難組だったが、現地人アシスタントを罵倒こそすれ援助の手を差し伸べたことなど一切なく、戸外へは一歩も出ない臆病な人であった、という。ならば、すべてフィクションであると断った上で映画化されるべきだった。

 彼にはもっと生きて、もう一冊の著作でもって、なかった、と言いきれるまでの「証拠」を出してほしかった。残念ながら、それは果たされないまま、いわばインドシナの生き証人がまたひとり消えてしまった。彼が親しかった一ノ瀬泰造(カメラマン)や共同通信の石山記者などが生き残っていたならば、あるいは彼の見解を支持する強い味方になったかもしれない。が、両者ともに残念な結果になってしまったことは周知のとおり。弾丸が馬渕の急所をよけて通ったといわれたほど戦場では強運に恵まれた男も、タチのわるい病ゆえの不運には勝てなかった。

 葬儀は日本で行なわれたが、妻(タイ人)と子どもたち(男女)が遺骨をバンコクへ持ち帰り、改めて告別式を行なった。一時、洪水の排水で活躍したセンセプ運河を都心から一時間ほどいった先、バンカピ地区にある仏教寺院。三日間にわたって弔問客を受け入れるタイ式のやり方で、我と日下部氏は初日に都内で落ち合い、船に乗った。

 遺灰は、遺言に従ってシェムリアップの川へ流すべく、式のあと、幾日かして、妻たちはカンボジアへ向った。
享年68(満年齢67)。ICU(国際キリスト教大学)出身の気骨ある、みずからの信条を貫いた戦場カメラマンの生涯に、改めて敬意を表する。

 合掌。
2012.02.06 / Top↑
 もとより、文学賞の選考というのも、多数決という民主主義的手法が適用される。○×△といった印でもって、およその評価を記しておくこともあるが、最終的には選考会での議論でもって、△が○になったり、その逆になることもあって、予断を許さない。ふたを開けてみないと、どういう成り行き、展開になるのかわからない、というのは、どんな賞の場合にもいえることのようだ。

 というのも、それぞれの委員の思惑というのは、ただの○×だけでは推し量れない。たとえば、○をつけた委員が、×をつけた委員に言い込められて×に同意することもあるし、ほかの全員が×か△であるのに、ひとりだけ○、それも◎である場合、いわゆるごり押しといって、他の否定的な意見を蹴散らしてしまう委員もいる。ボス的存在の選考委員、たとえば芥川賞における川端康成が、これはいいものです、といっただけで通ってしまったという逸話ものこされている。

 さて、拙作『漂流裁判』の場合、下馬評は前にも記したように、対抗馬を寄せつけなかったのだが、ボス的存在の開高健が、まあ、ササクラだろうな、と前もってアベタツさんには伝えられていたにもかかわらず、本番では、対抗馬の『ぼくとぼくらの夏』に票を投じてしまう。我の側で、参ったな、というアベタツさんのため息が聞こえた。その前には、イーデスハンソンが、うち、こんなの好きやわぁ、といってやはり対抗馬を支持していたから、五票のうち二票まで取られてしまったことになる。

 次には、田中小実昌が、これはササクラ作品が文句なしにいい、よく書けている、という評で、やっと一票が入る。そして、田辺聖子の番がくると、がぜん巻き返しに入る。弁舌さわやかに、いかにササクラ作品がすぐれているかを説いて、これには他の委員もしばし沈黙のようす。これはいーです、すきですといっていたイーデスハンソンも、返す言葉がなかった。

 とはいえ、これで票は2対2と、完全に割れた。最後の一票、都筑道夫しだいとなって、氏は頭を抱えた。こんな展開になるとは思いもしなかった都筑氏は、時間にしてどれくらいの迷いだったか、我の記憶では、十分くらいは困惑の表情を浮かべたままだった。その間、会場に居合わせたすべての人がかたずをのんで見守った。

 これは後でアベタツさんから聞いた話だが、田辺聖子は、もしササクラが落選すれば、ごねるつもりであった、という。ごねるとは、もう一度、委員に考え直すことを強いることだ。迷いに迷った末に、都筑氏が、『漂流裁判』です、と結論を口にしなければ、その場面がみられたはずだという。これはミステリとしては不完全な部分があるかもしれないが、文学作品として完結している、というのがごねる内容であったらしい。思うに、都筑氏が最後の一票を拙作に投じたのも、その前の、べた褒めに近い田辺節がきいていたのではなかったか。

(サントリーミステリー大賞<第6回>の詳細はインターネット検索で出てきます。なお、文春文庫が古書店になければ、「文春ビジュアル文庫」で読むことができます。)
2012.02.27 / Top↑