人は疑うかもしれない。田辺さんがあれほどササクラ作品をベタ褒めしたのは、何らかのコネ、パイプがあったのではないか、と。お聖さんと呼ばれて慕われる彼女は、兵庫県伊丹市(大阪府のすぐ隣)に住んでいて、我とは同県人である、が、ただそれだけのことで、一面識もなかった。

 マエダ(前田、名は孝子<豪傑的女性に多い名>だったと思う)さんのように、小実(コミと彼女は呼んでいた)、ササクラをよろしく、なんて声をかけた人はいなかったし、作品審査の段階では我の経歴なども知らされていなかったから、純粋にモノを評されたことは確かだ。そこに、我としては、掛け値なしの評として価値があったと考えたい。

 聞くところ、文学賞の審査員のなかには、ロクに作品を読むことなく選考会に臨む人(忙しくて読んでいる暇がなく、人に読ませて感想をうかがい、それを頼りにするだけ、といった人)もいると聞くが、田辺聖子はすべての作品を誠実にきちんと読んでくる人として知られていた。

 それに、これは大急ぎでいっておかねばならないことだが、小説というのは、俳句や短歌などの出来ぐあいを評するときのあいまいさ、つまり何処がどうしていいのかという、その評価が個人的な感性によって異なる、といったことが比較的少ないジャンルだ。昨今の芥川賞などは、これのどこがその賞に値するのかと首をかしげたくなるという人がいるようだが、あくまで芥川賞や直木賞も「新人賞」の一つであることを国民のみなさんはお忘れになっている、つまり、賞の価値が実際にそうであった(菊池寛が新人に与えた)過去よりはるかに上等化しているからそんなふうにいわれるのであって(NHKをはじめマスコミがそうしてしまったといえる)、そんな新人賞をもらったからといって後がつづくかどうか、まったくもってむずかしい、ほとんどの新人賞(文芸各誌<各社>が設定している)作家が消えてしまうのとまったく変わりがないことをお忘れになっているのである。

 だから、そんな立派な作品を期待してはいけないのであって、むしろ、芥川賞をもらって騒がれておきながら、後が続かずに消えてしまったといわれる幾多の人たちを気の毒に思う。消えて当たり前、咎める必要も,恥じる必要もない。ガラクタを続々とジャーナリズムの要請に応じて書いていけるかどうか、それが作家として生き永らえる(結局は過労で早死にする人が多いのだが)ための秘訣なのだから。

 それはともかく、小説というのは、わりあい評価がバラバラにはならないもので、いいモノはいいという、全体像(文章やテーマなど)に対する見方というのは評者によってまちまちということがあまりない。まったく傾向が違う二人の新人(かつての我と又吉栄喜<すばる文学賞時>のような未熟者同士)の場合のみ、パカッと割れてしまうことはあるものの、わりあい評のまとまりがいいことが多い。満評で当選といった場合がその典型で、同じモノ書きなら、誰がみても、いいものはいい、という評になる。
2012.03.05 / Top↑
 かつて、我は、同級生の芥川賞作家、三田誠広とふたりで、自治労が出していた文芸誌(「青空」だったと思うが南国ボケしているので勘違いだったら御免。いまは休刊)の新人賞の選考委員を10年ほどやっていた。その間、毎回5~6作の候補作品から賞と佳作を選考したのだったが、我の意見が三田と食い違って議論になったことは一度もなかった。彼がいいと思ったものは我もいいと思う、まったく評が割れたためしがないのである。つまり、ダメなものはダメ、キズはキズ、エクボはエクボであって、よい点、よくない点の評で食い違うことがなかった。

 要するに、ごまかしがきかないのが小説というもので、箸にも棒にもかからないものが賞の候補になることなどあり得ない。一人の作家がいいと思ったものは、他の作家もいいと思う、そのよさの度合いがどうかというモンダイで議論をすることはあっても、評者は嘘がつけないし、意に反して、よくもないものをよいということは、ワイロをもらってもないだろう。そのあたりの作家のプライドはたいしたもので、政治家(およその場合)のそれとはまったく違う。これは同業者を代表して断言してもいい。

 そういう観点からすれば、開高健が、大賞はササクラだろうな、とアベタツさんにいっておきながら対抗馬に票を投じたのは、公開選考会をおもしろくするための演出だったような気がしないでもない。いまは亡き人であるから、確かめようもないけれど。

 そうして、我が大賞、樋口さんが読者賞、ということに落ち着いたわけだが、賞金が五百万円と百万円、まるでゴルフの優勝と三位くらいの差がついてしまった非情な現実に、樋口さんは苦虫をかみつぶしたような顔でカメラのフラッシュを浴びていた。

 大賞、読者賞ともの正賞はサントリーの特製ウィスキーで、筒型のボトルの中に金製のキーが沈んでいた。ミステリをとく「鍵」の意だが、ただの金メッキであるはずはなく、何パーセントかの純金が混じっているだろうから、ボトルをかち割ればそれが取り出せる、またビンボウが始まればそれを売ればいい、などと思っていた。まさか、それから数年後、そのボトルが行方不明になってしまうとは、むろん思いもしなかった。
2012.03.12 / Top↑
 一体誰が、そのボトルを持ち出した(奪っていった)のか。これこそミステリだというのはシャレにもならない、我にとっては痛恨の極みだった。

 前に述べたように、モノ書きとして最後かもしれない勝負に出る作品ということで、親の出資を願い、それが首尾よく大賞を得たことで、その正賞(特製ウィスキー・ボトル)は父親に差し上げた。肺の大手術から生還した父は、我もまた起死回生の一発、ホームランを打ったことを喜んで、ちびりちびりと日々ウィスキーを舐めるように飲んでいた。

 こんなうまいウィスキーは飲んだことがない、と呟きながら、客があると自慢げにそれを飲ませてあげていた。失敬していったのは、そうした客の一人だったかもしれない。父に献上したといっても、ボトルまで飲み干すわけもなく、あとには金のキーがしっかりとのこるから、その日には返してもらおうと思っていたのだ。

 そうだ、あのボトルがあった、あれを売って金にしてやろう、とふと考えたのは、父の死後、ずいぶんと経って、ふたたびビンボウ暮らしがはじまってからだった。隅から隅まで、家探しをしてみた、が、ない。そんなはずはないと、それからも何度か、まさかと思えるようなところまでも掻きまわしてみたけれど、どこにも見当たらない。がくぜん、ぼうぜん、無念の思い。誰かが持ち出したことは疑いの余地がなかったが、いつの時点だったかもわからない。父親の葬儀でも我は大事な時計をなくしていて、これも誰かがポケットに入れたことは間違いなかった。いわゆる葬式泥棒だったか、油断もスキもない、おそろしい世の中だとつくづく思ったものだ。

 それはともかく、新人賞(すばる)から七年目にして、我は消え入りそうな息を吹き返した。没にした作品が大賞をとったというので、集英社の担当者、片柳氏は営業からも大目玉をくらったという噂だが、それはしかたがないことだったと今はいえる。つまり、彼は、それを何のレッテルもなく集英社から本にしたところで売れるはずがない、ササクラは他で頑張ってみるのがいい、というのが本心であったはずだ。実際、彼がそれを没にしてくれなければ、我の復活はなかったかもしれないのだ。

 いま、モノ書きとしてやっている人はみな(といっていいくらい)、その種のエピソードを持っていて、仲間うち(同業者のあいだ)でしばしば話題になる。純文学の分野でひたすら没になりつづけ、ついにしびれを切らしてエンターテイメント(いわゆる大衆小説)を書きはじめ、大成功した人など、おもしろい話がいくつもあって、特異な道を選んだ人の人生はかくなるか、という思いがする。

 わが恩師(てるおかやすたか・既出)は、小説家なんてのはヤクザ稼業なんだ、それもインテリヤクザだな、なんておっしゃっていたが、まさにシノギをやる(けずるともいえるが)しか生きていくすべがない。いかに、どうやって凌いでいくか、それができるかどうかで、その稼業をつづけていけるかどうかが決まる。我にいわせれば、本物のヤクザよりはるかにむずかしい、運と才能にめぐまれたごく一握りの人間だけが生き延びられる世界なのだ。

 才があっても運がなければシノギの波にのることはできない。その意味で、当時の我は、才はともかく、運にはめぐまれていたといえるだろうか。『漂流裁判』が第百回の直木賞候補にもなっていたことまではあまり知られてないが、運がよすぎた日にはダブル受賞の可能性すらあったのである。
2012.03.19 / Top↑
 人からは、よく聞かれたものだった。賞金の五百万円はどうされたんですか。まるで宝くじにでも当たったようにいわれて、そのたびに苦笑したものだった。次の年からは一千万円に跳ね上がっていたから、しまった、一年早かった、とは思わなかったが、さて何に使ったかと改めて自問してみるに、なんやかんや、あれやこれや、と惜しげもなく出しているうちになくなってしまった、というしかない。

 それやこれやが何であったか、家計簿のようなものはつけていないから、まったく定かではないのだが、半分くらいは、いわゆる借金と、それに類するもので消えてしまったように思う。お世話になった人に酒をふるまうだけで、一晩、数万円は消えていたし、付け届けにしても数件ではすまなかった。

 このあたり、金というものに対する管理能力がいささか欠けていて、いまになって振り返れば、使い過ぎ、という言葉がおのずと浮かんでくる。もう少し自粛し、倹約していればよかったと、羽振りのままにバラまいたことを悔いても遅いわけだけれど、我のような男はわが国に我ひとりでもなさそうで、たとえばバブル期にあったその種の愚かさは、ある種の国民病といっていいかもしれない。

 人間、調子のいいときは、それがいつまでもつづくような錯覚をおぼえるものだ。世は無常、明日はどうなるかわからない、ゆえに、そのための備えを怠ってはいけない。にもかかわらず、今に浮かれてワキが甘くなる。たいした金を手にしたことがない人ほど、手にすると危ない。ビンボウ暮らしが長くつづいた我の場合も、それに類する危険に直面していたわけだが、そのことに気づかないまま過ごしてしまった。

 こういう場合、たとえば女房のような、資金をしっかり管理、運営してくれる存在があれば、危険を避ける最善の法、ということになる。いわば、資金管理人という存在が我のような人間には大事であったのだろうが、それがなかったことで、宵越しの金はもたない、金は天下の回りもの、などいう愚かしい言葉に従って、あればあるだけ、となってしまったのである。
2012.03.26 / Top↑