これじゃ勝負にならないなぁ、と三田は呟いたが、そういうことに輪をかけて、我は有名になるチャンスを次々とつぶしていく。

 やはりテレビの話で、フジTVのプロデューサーから、『おはようナイスデー』という番組に出てくれないか、と電話があった。そのとき、どうして断わったのか、心の中の有様はもう忘れてしまったが、我には、自分の小説(あるいは活字になるもの)以外でユウメイになることを拒む気持ちがあったことは確かだ。

 オレは小説家であって、テレビタレントではない、という意識があった。小説が売れて名が出るのはいいが、それ以外はダメだという、自分自身のいわば原理原則があった。それを自分に言い聞かせ、出れば金にもなるテレビを断わった(その後、熱心な誘いを受けた「朝まで生テレビ」の出演も断わった)のだったが、それが正しかったのか、どっちがよかったのか、判断するのはむずかしい。

 ただ、自分の選択について、後悔はしていない、ということはいえそうだ。当時はよく、知人、友人から、有名化チャンスを逃していることについて、非難めいたコトバを受けたものだった。何をボヤボヤしているの、ねじめさんはどんどんテレビに出て有名になっているのに、同期の直木賞作家のあなたはすっかりかすんでしまっている、テレビに出なさいよ、顔を売らないとだめだよ、あなたのほうがマスクはいいんだから(といったのは一人<女性>だけだった)、じれったいね、くやしいったらありゃしない!

 それは誠にありがたい励まし、叱咤激励であったが、はい、そうします、と素直に首を縦にふることはできなかった。

 いま思えば、それはいわば「反動」というものだったかもしれない。以前にも記したと思うが、我が東京へ出たのは「歌手」になるためであって、大学で勉強をすることではなかった。京大を再受験するために京都で浪人までした以上、とりあえず大学には入っておかないと親に申し訳ないということで、東大を受験することにして、その一次試験の答案用紙を白紙で出したことはどこかで書いたと思うが、東京へ出て大学へ入るならワセダと決めていた。

 というのも、当時のワセダには、有名な俳優が幾人か学んでいて、東大よりもそこにあこがれたということがある。文学部には確か、吉永小百合さんが夜間の部にいらしたと思う。見にいこうと同級生から誘われたけれど、それは断わった。見せものじゃないというのは、いずれ自分がそういう立場になることを意識したせいだったが、その夢がもろくも崩れ去り、別の道をいくことにした時点で、テレビとは決別していたのだと、いまはわかる気がする。

 つまり、自分にはもともと有名化へのあこがれ、テレビ化する素質があること(たこ八郎と仲良しでその物語を書いたり、あき竹城のマネージャーをやっていたことでもわかると思うが)で、それに出ると、染まってしまうにちがいない、という怖れがあったのだ。テレビ人間と付き合うのはいいが、それまでにしろ、せっかく活字の世界で出発できたのだから、という声が聞こえたのである。
2012.08.06 / Top↑
 思い返せば、テレビに出るチャンスはそれからもいくつもあった。友人がテレビ朝日にいたし、大阪のキー局では、若一光司(作家)がコメンテーターとして活躍していたし、同郷の作家、軒上泊はしばしばテレビに顔を出していたし、ある時は、クイズ番組に出る話も持ち上がったものだった。

 男女のコンビで出るもので、相手は女優の名取裕子。これには手が(いや顔が)出かかった。ふつうなら、ぜひ、とお願いするところだろう。クイズといっても、二問くらいは答えを教えてもらえることがわかっていたし(この人は馬鹿だと思われないためにそういうことをやってくれるのだが、全問を正解する人はむろん作られたスター<当時の人はみんな亡くなってしまったが>だ)、だが、これも結局、断わった。

 名取さんとは、我の原作(漂流裁判)ドラマの主役<検事役>であったことから、雑誌(婦人公論)で対談していた。それ以来の話だったが、断わったことを知ったある人は、もったいない、と一言吐いたきりだった。

 それが正解だったのかどうかはわからない、と書いたが、実にむずかしいモンダイがそこにはある。

 いまはインターネットの発達などで、TVという存在は以前ほどではないと思うが、有名になるための媒体としては最高のものだろう。が、そうして名が出て、顔が知れて、その人が作家なら、その本もまたユウメイになるかというと、これがそうではない。そうは問屋が下ろさない、というのは、我の知るかぎり、誰一人として、テレビに出て本が売れた、という作家はいないからだ。

 もともと書き手がタレントで、テレビで宣伝するような場合は別だろうが、いくらテレビに出て名と顔が売れても、本はむしろ売れなくなる、という現実については、考察するに容易ではない。が、簡潔に、乱暴にいえば、テレビにかじりついている人間は、本など読まない、ということが一つある。テレビと本は別物であって、人の趣味でいえば、柔道と書道くらいの違いがあるだろうか。両道をいく人もむろんいるわけだけれど、少数派であって、およそはどちらかだ。

 立松和平(故人・ワセダの一つ先輩)とは、会う度に話を交わす仲だったが、彼がいっときテレビ朝日の番組で売りだし有名になったとき、我は本人に確かめている。本は売れますか、と問うと、「ダメ、売れない、まったくダメだね」と、苦笑いを浮かべた。

 彼によれば、テレビの視聴者は一応本屋さんに足を運ぶらしい、が、本棚で見つけた彼の本を手にとって、パラパラとページをめくり、文字がページいっぱいに詰まっているのをみて(ため息をつき?)、本棚に戻してしまう、らしいのだ。

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2012.08.13 / Top↑
 おもしろいねぇ、と我は立松さんの前で声を張った。それを話したときの彼の顔はいまも憶えているが、ほんとだよ、と返して、テレビなんか本とは関係ないよ、と言い放った。

 それがどうも真実であるようだ。テレビに出れば本も売れるだろう、と、ふつうは単純に思ってしまう。が、人間というのは、それほどわかりやすい存在ではない。テレビで有名だからといって、その人の本を読もうという考えには至らない。

 たとえその気になって書店に足を運んでも、それを買うかどうかはわからない。立松和平の語りが示す通り、そんな漢字がいっぱいでページの隅々まで文字がつまっている本など読みたくない、ということになる可能性はたぶんにあるのだ。

 そういえば、ねじめが有名になってから、ある時、会う機会があって、「その後、本は売れているかね」と尋ねると、「ダメだね、売れようと思って書いてもダメ、やっぱり売れねぇや」と、苦笑ぎみに首を振ったものだ。受賞作は売れたが、その後は苦労しているらしく、有名化しても本が売れることにはつながらないことを、彼もまた語っていた。

 ささくらさん、ぜったいに!テレビに出てはダメよ、ますます本が売れなくなるから。

 そう忠告したのは、作家の高樹のぶ子(「光抱く友よ」で第90回芥川賞)で、我がすでに出ない方針を定めて何年も経つころだった。ある選考会への旅の途上、クイズ番組を断わったという話が出たときだったか、それが正解、出てはダメと釘を差した。彼女によれば、それに出た日には、「隣のおじさん、おばさん」になってしまうから、だという。

 お隣さんになってしまったら、その人の書いた本など売れるわけがない、というのだ。それは彼女だけの言い方だが、なんとなくわかる気がした。作家は雲上人ではないが、人々にとって遠い存在にしておいたほうがよい、ということだろうか。

 手が届かない、顔も動画はみられない、いろいろとミステリアス、だから(というだけではないだろうが)、その人の本を読む、ということが戦後しばらくの間はあったのではないか。
2012.08.27 / Top↑