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 明けましておめでとうございます。
 こちらでは、新年の挨拶は、サワディー・ピー・マイ、という。

 サワディーは、日常の挨拶ことば、朝昼晩と使えて便利だが、新年にまで使えるのだから、実に幅広い。
ピーは「年」、マイは「新しい」で、新年となる。

 ハッピーは、ミー・クワームスック、というが、それは使わない。あめでとうございます、というのは、新年を祝う(めでたい)からいうのだろうが、誰に対してもいえるかというと、そうではない。前年に身内の不幸があれば、年賀状を出さないことを断る便りを出したりする。

 おめでたくない新年もあるわけだが、こんにちわ新年、という意味合いのタイ語はその点、おだやかで差しさわりがない。さしておめでたくもない、ただ西暦が変わっただけのこと。本当の正月(新年)は4月(13、14、15)のソンクラーン祭だから、それほど大事でもない。

 だが、近年のタイは西欧にならう面も多々あり、その習慣を受け入れて、それなりに楽しく過ごすことが全土においてふつうになっている。

 それはメリー・クリスマスから始まるのだが、キリスト教徒の行事であるそれをまるでわが楽しみのごとく過ごすのは、わが国と似て、寛大、寛容、というべきか。一体、西欧のどの国が仏教国の行事を楽しむということがあるだろうか?

 ぼくはこれを仏教徒ならではの、他を排する一神教にはない賞賛されてよい特色だと思うが、そのことに気づいている西欧人は少ない。何しろ、あのオバマ(大統領)の就任演説で、理解しあわねばならない宗教のうちで、真の平和をもたらす「仏教」だけが抜け落ちていた。故意でなければ欠陥演説、故意ならば、もとより平和な宗教には言及する必要はない、喧嘩ばかりしている宗教だけを取り上げた、ということだろう。

 だが、それもまた許してしまえるのが仏教徒であって、これがイスラム教をすっ飛ばしたとなれば、大変なことになるだろう。欠陥演説として糾弾されたにちがいない。

 それはともかく、大晦日から新年にかけての行事というのは、庶民のレベルでは「爆竹」と「カウント・ダウン」がすべてといってよい。バクチクはもともと中国人の習慣であったようだが、大晦日、午後9時ころから散発的に始まって、午前零時前後に最高潮に達する。それと同時に、夜の街のあちこちで、にぎやかにカウント・ダウンがこだまする。

 といっても、観光客が集まる繁華街や限られた場所(イベント広場など)だけで、タイ人の多くは静かにテレビ(年越しの番組がいろいろ)などを見ながら過ごすことになる。

 ぼくの住むアパート界隈は、たまに小さな爆竹がはぜる程度、遠くから花火も上がったが、いつもと変わりのない時の経過があっただけだ。こちらの午後10時が日本時間の年明けだから、ふと気づいて電話を数件、あけまして~の挨拶をしたにすぎない。 大掃除もしないままに、いつも通り、部屋での夕食(市場で買ってきた惣菜を肴に飲む)と、タイのテレビ(荘厳な仏教行事の)でゆったりと過ごした。

 この季節は、タイ語で「ルードゥー・ナーウ」、つまり「寒い季節」という。寒くないけど寒い季節というのだと、タイ人も笑っている。毎朝のように行く裏町のコーヒー屋さん(店といえるほどではない)で、この頃はだいぶタイ語ができるようになったから、店の常連たちと話をするのだが、タイ人も日本人と同様、気候の挨拶が一般的である。

 アーカー(天気、気候)・ディー、よい天気で、と言い交わすことがよくあって、そう、この季節はよい、というのがいちばん適切な言い方にちがいない。

 何、年中暑い国で時候の挨拶?

 そう思われるむきもあるかもしれない、が、季節の移り変わり、空模様の変化、というのはこちらでもむろんあって、それを挨拶に取り入れる習慣は、やはり文化の共通項をみる思いがしてならない。
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2013.01.21 / Top↑
 イェン、という語がある。その意味は3通りあって、涼しい、冷たい、夕方の、といったところ。ロム・イェン、といえば涼しい風、カフェー・イェン、といえばアイス(冷)コーヒー、アーハーン・イェンといえば夕食、となる。

 夕方は午後四時から始まって六時台まで、以降は夜(クーン)となるのだが、わが国よりも一日の時間割はセンシブルだ。

 この季節、涼しくなるのは午後四時以降から、朝八時ころまで。なので、朝早くにコーヒー屋に出かけると、涼しいね、と挨拶。アーカー・イェン、となる。

 涼しい、と、冷たい、は日本語では意味合いが違うけれど、タイ語では同じ、イェン。冷たい、というより、ひんやりしている、といった方がいいか。冷蔵庫のことを、トゥー・イェン、冷たい庫、というが、寒い(ナーウ)は、それとは別格扱いのようだ。

 いまの日本の気候を尋ねられて答えるとき、イェン、とはいわない。ナーウ、という。ナーウにマーク(とっても)をくっつけていうのが適切だ。こちらのナーウとは比較にならないからである。

 とはいえ、まさに寒い季節というにふさわしい朝(方)もあって、冷房などつけて寝た日には風邪をひいてしまいかねない、薄着をして寝ても同じ、背中がひんやりとして目がさめる、ということがたまにある。

 寝る時間はまだ昼間の余熱が残っていて、30℃以上あっても朝方は25度前後まで下がる、その温度差がクセもので、体感温度はかなり涼しく(ぼくの場合は冷たく)感じられる。

 今年の朝方はそれほどではないが、幾年か前は(年によって違う)、非常に寒い朝がつづいて、18度まで下がった日には、みな、寒いさむいと言い交わし、分厚いセーターを着て、さらにジャンパーのような上着で寒さを凌ぐ人がいたものだった。

 首都バンコク(クルンテープ、少し長く、クルンテープ・マハーナコーン<偉大なる永遠の天使の都>、と現地では呼ぶが正式名は世界一長い)でそういう次第だから、もっと北のほう、チェンマイやチェンライなどでは、ある年、摂氏7度くらいまで下がって、凍死!するお年寄りが幾人か出たほどだった。

 ちょうどぼくがはじめてチェンライを訪れた年(10年ほど前)のことで、厚い毛布をかぶってもまだ震えた記憶がある。

 そういう次第であるから、この国で、この季節を、ルードゥー・ナウと呼ぶのは決して的を外していない。寒さの感覚というのはその地によって違う、人々の皮膚感覚によって違うわけだから、寒い季節、といって間違いはない。
2013.01.28 / Top↑

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