上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
 2月に入ると、例年、日が長くなるにつれて、気温がだんだん上がってくる。あの爽やかな日々はどこへ?

 ただの季節のめぐりにすぎないのだが、日本でいえば、5月と10月の冷暖房がいらない束の間の季節。ここでも、そうはとんやが卸してくれなくて、一年のうちで最も暑い季節がはじまった。

 そして、季節の変わり目というのは、三寒四温のごとく、行きつ戻りつしながら、4月に入ると、すっかり「暑季」という名の季節を迎えることになる。(年によっては異常気象で、寒いくらいの日がつづくこともある。)

 タイ人の平均体温は37度であると、バンコク病院の看護婦さんから聞いたときは驚いたものだが、あくまで平均で、37度より高い人も当然いる。モノの本によれば、人間の理想的な体温は37.1だそうで、免疫力は体温が上がるごとに飛躍的に高くなると書いてある。

 日本人の体温が低くなったことは、健康上のモンダイとして医学的にいわれて久しい。ぼくの記憶では、36.5度というのが平熱、37度は微熱といわれていた。それがいまは35度もザラ、人によってはそれ以下ということもあるらしく、非常によくない傾向である。

 実は、ぼくも日本を去る前は、35度しかなかったことを憶えていて、在タイ5年にしてはじめて(バンコク)病院へ出向いた際、看護婦さんから、はい、37度、ディー・マー(たいへんよい)、タイ人の平均です、といわれて驚いたのだった。いつの間に2度も上がってタイ人なみになってしまったのか?

 人に与える気候、風土の影響は承知の上だが、それが我が身にもしっかりと及ぼしているとは思わなかった。長い月日をこちらで過ごすうち、徐々に、南国的な身体になっていったということだろう。人間の身体は正直で、栄養が足りなければそれなりになってしまうように、気候もまた大いなる影響を及ぼして、さらには内面のありさまをも左右するものであるにちがいない。

 そういえば、日本にいるころより、ぼくはずっと怠惰になっている。あくせく働く(モノを書く)ことをやめ、明日できることは明日に、今日しなければならないことも明日に、といった傾向がしっかりと身についてしまった。

 どうにかなるさ、気にしない、というタイ人に特有の気質が沁みついて、これで日本に帰った日には、とてもついていけない、生きていけないという気がしている。ときにはしかし、そのことを不安に感じて、こうして文章を書いたりもするから、まだいくらかは日本的な気質をとどめてはいるのだろうが。
スポンサーサイト
2013.03.04 / Top↑
冷やしすぎの熱帯都市

 都市が発展をとげ、近代化がすすむと、人々のありさま(心身ともの)も変わっていくことは避けられない。10余年前にできたBTS(高架鉄道)やその後にできたMRT(地下鉄)などに乗ると、ぼくなどは必ず用意した上衣を着込み、防寒をするわけだけれど、どうしてこんなに冷やすのか、首を傾げたくなる。

 そういえば、わが国でも、夏場の冷やしすぎを反省して、いまは弱冷房の車両をもうけたり、ビジネスの世界でも、すずしい装いをして冷房をやわらげる工夫(クール・ビズとかいう)がなされたりしている。この国も、おそらく冷房「病」というもので冷やしすぎの非が認識されてはじめて、いろんな対応がはじまるのかもしれない。

 いまのところはしかし、ギンギンに冷やすことがサービスと心得られていて、これは外が暑いために起こる反動だろうか。

 部屋をできるだけ冷やして、代わりに毛布をかぶって寝る人も多いと聞いた。文明が発達すると、人は奇妙な行動をとることが多々あることの証しだろう。もっとも、冷房などは電気代が高くつくため、扇風機で充分、そして、ホット・シャワーなどは要らない、水でけっこう、というタイ人はまだ多い。

 人は豊かになると生活が変わる、心身もろともに変わってゆき、いずれしっぺ返しがくることは、わが国がもう充分に味わったことだ。

 タイ人の平均体温が37度を下回り、不健康な人間の増加が問題視される日には、やはり冷たいものの摂りすぎや冷房の使いすぎ(日本がそうであったように)が挙げられるにちがいない。このままいくと、遠からずその日が来るという気がする。
2013.03.11 / Top↑
 ポー・レーォ、というタイ語がある。もう充分だ、満たされている、という意味で、食事の場面では、もう充分にいただいた、もうけっこう、となる。

 ポー・ディー、という言葉もある。(これくらいが)ちょうどよい、(この程度で)ぴったり、といった意味で、ぼくの好きな言葉だ。

 この地(球)上を見渡していると、あちこちで、とてもポー・ディーとは思えない、ゆきすぎた話がひっきりなしだ。

 政治的にも経済的にも、問題が生じて世界が平和にならない原因の最たるものは、この「ポー」(満たされている)を人々が受け入れない、もしくは、理解しないためであって、人間というのは基本的に強欲、つまりは過ぎたる欲望を求めるがゆえに、逆にみずからを窮地に追い込んでいるのだという気がしてならない。

 ポーにはまた、足る、足りる、という意味もあり、ポー・ディーには、よく(ディー)足りている、それ以上の欲(よく)は要らない、という意味合いもある。

 この国では、ご存知の方も多いと思うが、仏教精神を国民の心の柱として、国王から民衆まで、ほぼあまねく教えを尊び、子供の頃からその大事さが説かれる。

 ぼくの知人、Nさんはある団体のボランティアとして、バンコクのハイスクール(おおむね中学、高校が一体)で日本語を教えているのだが、約2000名の生徒は毎朝、校庭(といっても駐車場も含めた広場)で、地べたに座って、その学校の母体ともいえる寺院からやってくる僧侶の話を、なんと一時間以上にわたって拝聴する、という。それが毎日ですよ、とNさんはいって、日本では考えられないことです、と感慨を口にしたものだ。
2013.03.18 / Top↑
 タイに夏が来た。

 というと、語弊がある。ナツではなく、暑い季節だ。タイ語で、ルードゥー・ローン、という。ローンが暑い、ルードゥーが季節である。

 どれくらい暑いかというと、暑さに馴れているはずのタイ人が、互いにアツイ、アツイと言い交わす、それほどの暑さ。昼間で、およそ摂氏36℃から40℃くらいの間である。

 時候の挨拶は日本人の日常であるが、年中暑いタイで、それがないかというと、とんでもない、出会いがしらの挨拶はそれしかないんじゃないかと思うくらい、実に日常的に交わされる。

 ぼくが毎朝出かけるコーヒー屋さん(テーブルが3つほど)には、さまざまな庶民が出入りするのだが、すでに暑季入りといってよい3月下旬、タイ人同士で、今日は暑いね、ほんと、暑いわね、などと言い交わしている。

 店をやっているのは、ノーンさん、という50がらみの女性で、ぼくが、今日は暑いね、と挨拶すると、なんと、ローン・マーク・パイ、と返してきた。暑すぎる、という意味で、これには恐れ入った。というか、その通り、すぎたる温度は人間のカラダがしっかりと感知して、それを拒否するようにできている。すぎたる寒さ、すぎたる暑さは、この地球上のほとんどすべての国にある。

 とはいえ、その過ぎたる暑さ、寒さにも程度というものがあって、とんでもなく暑い、あるいは寒い季節が長い国というのは、ぼくにいわせると、人間が正常な状態で住める場所ではない。そういう土地に住まなければならない人間は、非常に冷酷であったり、異常に利己的であったり、まさに気候、風土が人に与える影響の大なるを思わざるを得ない。

 むろん民族性はそれだけではなく、例外的にすばらしい国もあるが、ぼくがこれまで旅して(およそ60数カ国)二度と行きたくない国は、およそそうした異常気象の地域にある。

 そういう国々に比べれば、一年のうち、ほんの2ヶ月だけ(正味の日数はその半分程度か)、暑すぎる季節があるだけで、あとは少し暑い(雨がしばしば涼しい日も多々)、暑くない(涼しい、寒い日も多々)、それぞれ雨季=ルードゥー・フォン、乾季=ルードゥー・ナウ。三つの季節をもつタイという国は、過ぎたるは今だけ、ちょっとの辛抱、なのである。
2013.03.30 / Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。