昨今、肥ったタイ人が多くなったという話は、社会的な関心事にもなっている。ぼくの周り、例えば行きつけのコーヒー屋さんでもしばしば話題となる。

 店に立ち寄る、もしくは前を通りかかる人々のうちには、もはやこれ以上は肥れない、最大限に達したような人も少なからず。そういう人をみると、店主のノーンさんは、ウァン! と、遠慮なく発する。

 ぼくが覚えたてのタイ語で、ローク・ウァン、と返すと、そう(チャイ)、ローク、ローク、と笑いながらくり返す。

 ロークの意味は「病気」である。ウァン・ロークとは、従って、肥る病気、となって、「肥満」のタイ語だ。ロークは正式な病気に使われて、例えば、肺病はローク・ポート(結核はワンナー・ローク)、ローク・ファチャイは心臓病、ローク・マレンはガン、ローク・エー(ド=無声音)はエイズ、といったぐあいだ。

 それを肥満にも使うということは、「肥る」=「病気の一種」であることを人々が感じとってきた歴史があるからにちがいない。タイ語は率直かつ正直な言語なのだ。

 正直といえば、人間の身体ほどそうであるものはない。「生活習慣」という語が「病」の前につけられるようになって久しいが、まさに習慣によっていかようにでもなるのが人の身体というものだろう。

 タイ国がアジアで有数の経済発展をして、人々の暮らし向きがよくなるにつれ、食べたいものが食べたいだけ胃袋に収まる、ゆえに、食べすぎるという現象が起こってくる。タイ人は一日に5 回、飯を食らう、というのは冗談ではなく、ごく一般的にいわれることだ。

 見ていると、また食っている、さっき食ったばかりなのに、と思う場面がしばしばある。もとより昔から田畑(米、野菜)に加えて海山川のものが豊富で、飢えがない国といわれてきたが、ぼくが知るかつてのタイは、人々の食べ物が素朴で質素だった。すなわち、麺類や野菜(根菜類)と海川のもの、それも辛ければ辛いほどご飯のおかずになるという経済性にすぐれた?食べ物が主体で、そのころ(ぼくがはじめてタイへ来た40年余り前からしばらく)は、街で肥った人をみた記憶がない。

 むろん、たまには見かけたはずだが、今みたいに、あの人もこの人も、ウァン・ローク、というしかない状態では決してなかった。
2013.04.08 / Top↑
 わが国もかつてはそうで、焼魚などがやけに塩辛かった憶えがある。少量のおかずでたくさんの飯が食えるという理由からで、そのために生じる病気もあるにはあったけれ、むしろ結核のような不治の病(戦後まもなく完治するようになったが)のほうが深刻だった。今のようにはっきりと生活習慣病と名づけて注意を呼びかけるものではなかった。

 焼魚が塩辛かったころ、たまのご馳走といえば、鶏肉だった。庭先にいる鶏をつかまえ、つぶして、特別な日のもてなし用に使われた。牛肉などが入ってきたのは、戦後のことで、日本人にはそんなものを食う習慣がなかったという事実を知っている人はもうほとんどいない、というより、考えもしない人がほとんどだろう。

 長い歴史のなかで、そんな習慣がなかった(イノシシ<猪>などは食べる人がいたけれど)にもかかわらず、西欧の食文化がドッとなだれ込み、街に肉屋なるものができ、さらには肉料理の専門店が街の上座を占めるようになる。わが国が経済発展をしていく過程での現象だったが、それはタイにおいてもそっくりで、日本の牛丼屋の進出にも示されているように、人々は経済的に豊かになるにつれて、「肉」なるものを多量に食らうようになっていった。

 いつだったか、インド人の菜食主義者が日本を旅して、いちばん困ったことは、自分の主義を通すのが非常にむずかしかったことだと聞いた覚えがある。それはタイにおいても同じで、街の食べ物屋で何かを食べるとき、「菜」しか入っていないものを見つけるのは非常に困難である。厳密にいえば、魚も菜ではない。とすれば、ほとんどの料理に、肉なるもの(牛肉は非常に少ないけれど)が入っていて、菜食をするにはうちで料理をつくるしかない。街の店では、メニューに細かい注文を出すほかに菜のみを採るすべはなくなっている。

 タイ人が肥ってきたのは、してみると、避けられない現実だったといえるだろうか。肉は確かにおいしい。豚肉や鶏肉などは世界でもまれにみる(これまで行った国ではいちばん旨い<対抗できるのは特別な育て方をした日本の牛、豚、鶏のみ>と思う)逸品といってよい。そういうものを、欲のまま、気のすむまで食べていた日には、正直な人間の身体はどういうことになるか、もはや火を見るより明らかである。
2013.04.15 / Top↑
 暑い季節になると、肥った人はよけいに大変であるようだ。

 コーヒー屋の前、通りを隔てた対面に、パトンコー屋さんがあるのだが、そこで店番をするおばさんが丸々と肥っている。ときどきコーヒー屋さんにやって来て、ノーンさんと何やかやとだべり、タダのお茶(コーヒーを頼んだお客へのサービス用)を飲んでまた店に戻っていくのだが、見ていると、のろのろ、よたよた、動きが非常に鈍い。

 パトンコーというのは、一種の揚げパンで、鶏卵を入れて練った小麦粉を二列に重ねて適当に切り(店によって太さや切り幅が違う)、大鍋を一杯にした油で揚げたものだ。二列に重ね切りした小麦粉がふくらむときに双子のようにくっついて、なかなかおもしろい形になる。コーヒーとよく合うので、ぼくもときどき買うけれど、いつも一個だけ(アン・ディアオ)と告げる。

 すると、もう一人の店のおばさん(こちらは小柄なふつうの体形)は、二つ以上ならそれに包む紙を、きちんと二つに切って(なんとも几帳面だ)、一個だけ包んで差し出してくれる。3バーツ(約9円)。こんなものをおいしいからといって3つも4つも食らっていたら、ほどなくウァン・ロークへの道をひた走るだろう。

 パトンコーを例に出したが、実に、この国には揚げたものが多い。油のことをナーム・マン(脂・脂肪の水)というが、いい得て妙。脂の水は、クッキングに絶大な力を発揮する。おいしさも生み出す。それがなければ、料理の種類は半分くらいに減ってしまうはずだ。料理に油をたくさん使うことが、インドではいまや社会問題となっている肥満(病)の因だといわれるが、この国でも事情は同じ、とにかく油、油、また油、放っておくとアブラ地獄に落ちそうで、これはやばい、と感じたこともある。

 鶏のカラ揚げはいくら旨くても一週間に1個か2個、以前は食べていた炒飯(これはどこの店でも旨い)もめったに口にしない。野菜炒めや目玉焼きなどはたまに食べるが、油をほんの少しと注文をつけなければ、アブラ炒め、アブラ焼きになってしまう。

 街の屋台で作りながら売っている串揚げ(もしくは串焼き)などは、たとえ肉でなくても一切口にしない、といったふうに、意識的にセーブ、管理しなければ、たちまちメタボ症候群の仲間入りをしてしまうだろう。
2013.04.22 / Top↑
 子供まで肥りだしたことについては、学校帰りの児童をみれば明らかで、一部女子高生のまるまるぶりは日本の生徒にひけをとらない。いや、はるかにすごいといえる子がなかにはいて、人間は一体どこまで肥れるのか、という別のモンダイを考えさせてしまう。

 240キロまで肥って、ドアから出られなくなった女性を窓から救出したというニュースは、さすがに人々を仰天させたものだが、その半分程度の16歳はときどきみかける。

 その子がなぜ120キロくらいだろうと予想できるかというと、ぼくがよくラオ(酒類の意)を買いに行く雑貨屋で店番をする女性がものすごいウァンで、すっかり馴染みになったある日、あなたは何キロあるのか、と尋ねてみたところ、105キロだと聞いたからである。

 あなたはウァンだというと失礼に当たる(わが国語的にいえばブタ的?)らしいが、何キロあるのかという問いは差し支えがない。あなたは老けてみえるというと失礼だが、歳はいくつだという問いは一向に差し支えないのと同じである。

 指を一本出して、ヌン・ローイ(100)、次に指を5本、パッと開いて、ハー(5)、と愛嬌たっぷりに答えてくれたものだが、それからは、その女性を基準にすれば街の人々の体重がだいたいわかるのである。
2013.04.29 / Top↑