その他、いろんな器具がしばしば壊された。修理されるかといえば、倒産会社でお金がないためか、放置された。

 ある時、シャワー・ルームのハンドル(冷温水と水量の調節レバー)が折れてなくなっていることに、裸になってから気づいた。こんなものは、ふつうの扱いをすれば折れるはずがない、誰がどうやってぶっちぎってしまったのか、重量挙げのバカちからを発揮したか、未だに謎、いや、乱暴な輩の仕業であることに間違いはない。というのも、サウナ・ルームで強烈なストレッチをする重量級の輩がいて、いいかげんにしろ、と言いたくなったものだが、案の定、木製の腰掛台はほどなく壊れ、床はでこぼこで釘の頭が出ている、という有様であったのだ。

 これじゃ、会社が潰れるのもムリはない、その責任は巨体で乱暴なメンバーとそれを注意しないスタッフにある、と思っていたが、その通り、最後の一軒もついにシャッターが閉まった。事前に何の連絡もなく、五月一日の午後、行ってみると、閉じられたシャッターに貼紙がしてあって、残念ながら続けていくことができなくなったけれど、皆さんはこれまで通り運動に励まれるよう希望する、と記されているだけだった。
まだ10ヶ月も残っているメンバーシップ期間に対する補償などはむろんない。が、ぼくなどはまだマシなほうで、閉鎖の直前までメンバーを募っており、何も知らずに加入する人もけっこういたのだ。まさしく詐欺行為であった。

 これがタイ、と邦人メンバーたちはあきらめるほかなかったのだが、やはり雑! としかいいようがない。都合がわるくなると、タイ人は逃げますよ。長くこちらで暮らす日本人ジャーナリストのK氏は、そう言い切ったものだけれど、雑であることと逃げること(実際、クラブのオーナーは金をもって海外へ逃亡した)は、性質として共通する何かであるにちがいない。泥棒にはたびたび出くわしているけれど、詐欺にあったのはこれがはじめて。脇が甘いことで損をする人間の見本、まだ異国を甘く見ていることの証し。いやはや、よいベンキョウになった、授業料だったと考えるほかなかったのである。
2013.07.01 / Top↑
 コーヒーをいれるヌワンさんの手つきも「雑」である。テーブルに置いた拍子に、トレイに乗せたカップから液がこぼれることしばしばで、別に怒っているのでも急いているのでもない、もともと動きが荒っぽいのである。

 ただ、持ち帰り用のコーヒーやティーを作るときの手つきは実に巧みである。バッグ型になったビニール袋に氷を一杯につめ、熱いコーヒーやティーを注ぎ入れ、さらに二種類のミルクをまんべんなく溶かし込む。カフェー・ローン(熱いコーヒー)、カフェー・イェン(冷コーヒー)、チャー・キィァン・イェン(冷緑茶―日本の緑茶とは違って文字通り緑色をしたお茶)などには、ふつうの牛乳とコンデンス・ミルクの両方を入れるのがこちらのやり方で、実に妙なる旨さをかもしだす。

 ミルクはノム、というのだが、ノム・コン・ワーン(甘い濃いミルク)がコンデンス・ミルクで、ふつうの牛乳はノム・チュー<ト>(薄味のミルクの意)、これをなぜ混ぜるのかというと、混ぜるとうまくなる、この国の料理の真髄ともいえる法がコーヒーやティーにも生かされた結果だ。こういうことは、面倒くさがらずにしっかりとやるところがおもしろい。ゼッタイによいこと、益になることは、その他どうでもよいこととは別のようなのだ。

 このコーヒーの類については、何もいわないでおくと、強烈に甘くされる。その甘さたるや、この国にきた人が一度は経験する、恐ろしいこと(非常な甘党は別)の一つだろう。ヌワンさんの店もご多分にもれず、上記二種類のミルクに砂糖をたっぷりと(大匙2杯ほど)加えたのを“ふつうのコーヒー”と称している。

 ぼく用のものは、マイ・ワーン(甘くしないで)といってあるから、大匙の砂糖は免れているわけだけれど、それでも二種類のミルクは入れるから、甘くないはずのコーヒーがそれでもけっこう甘くなる。さらに甘さを抑えるためには、マイ・サーイ(入れないで)を使って、マイ・サーイ・ノム・ワーン、と注文をつけなければならない(混ぜると確かに旨いので、ぼくはそこまではいわない)。
2013.07.09 / Top↑
(管理人より)

笹倉御大の著作『天の誰かが好いていた』⇒『昭和のチャンプ・たこ八郎物語』が、出世魚のように展開して(?)このたび、Kindle電子書籍として復刊いたしました。




スマホ、タブレット、KindleFireHDなどで読めます!
感動のノンフィクション小説、何卒よろしくお願い申し上げます。

また、ツイート、いいね!などによる拡散にご協力いただけますと大変、助かります。何卒、何卒・・・。
2013.07.11 / Top↑
 人参入りコーヒー(ビタミン、ミネラル含むとパックに記されている)もある。ローン(熱い)、イェン(冷)の両方が可能で、インスタントながらなかなかいける。ここのコーヒーはすべてインスタントで、それだけに安い(熱いので13<最近1バーツ値上げ>、冷たいので18バーツ)。街には豆をひいてつくる店がいくつもあるが、これは25から35バーツと高い。ぼくにはインスタントで充分である。

 ミルクを一切入れないコーヒーのことを、特別に“オーリアン”といい、これにも砂糖をたっぷりと入れるから、ひたすらに甘い。文字通りのブラックにしたければ、マイ・サーイ・ナムターン(砂糖抜き)と注文をつけねばならない。

 この過ぎたる何とかは、いろんなことに共通するものだ。タイ料理は辛いというのが定評である。この強い刺激を求める性質は(むろん、すべての人がそういうわけではないし、辛くないタイ料理もけっこうあるのだが)、やはり熱帯の気候、風土と関係があるにちがいない。小さな青唐辛子を生のままポリポリと食う人もいて、ぼくの目にはもう奇人としかいいようがない。極甘と極辛は正反対だが、両方ともに行き過ぎているという点では同じである。

 過ぎたるを戒める仏教の国なのだが、近年の経済発展(欲の象徴)の前には、教えが民衆の心に届かなくなってきたように思える。すでに述べたように、僧自身が肥満という俗化のみならず、堕落ともいえる不祥事(婦女にいたずらをする等)が散発することからも、だんだん危機的な世の中になってきていることは間違いない。
2013.07.15 / Top↑
 過ぎたる話をもう一つしておこう。

 暑季最大のイベントは、ソンクラーン(祭)である。一般に、これがタイの正月と見られているが(そして、それは間違いではないのだが)、本来のタイ正月(トゥルート・タイ)は、太陽暦のソンクラーン祭とは別のものだった。このことはあまり知られていないので、ちょっと説明しておこう。

 すなわち、旧年の陰暦4月下弦14日から、新年の5月上弦1日までが本来のタイ正月だった。これは、現チャクリ王朝・ラ―マ5世の時代、1889年(仏歴2432年)になって、年ごとの日にち変更をやめ、陰暦4月1日をタイ正月とすることが定められた。それが1941年(2484年)に至って、世界標準に合わせ(つまり西欧なみに)太陽暦の1月1日を正月とする、との決定がなされた。(ちなみに、中国正月は相変わらず陰暦にもとづき、年ごとに日程が変わる。)

 本来のタイ正月は、一年の最後(トゥルート)を新しい年(ピー・マイ)を迎えるに当たって祝うもので、年の暮れから新年を迎えるまでの行事だった。それとは別に、もう一つ、ほぼ時期を同じくして“ソンクラーン”というお祭があって、昔は、タイ正月と時期がずれることがあっても別に行われていた。が、国が近代化して人々が忙しくなり、そう度々休みにするわけにもいかないということで、本来のタイ正月とソンクラーン祭を一本化し、その代わりに、西暦の1月1日を新タイ正月とする、とされたのだった。

 人々は従って、ソンクラーン祭をタイの本来の正月も兼ねて祝っており、1月1日よりはるかに重要な祭日かつ休日(人々は故郷へ帰省する)である。
2013.07.22 / Top↑
 ソンクラーンというのは、通過する、移動して入っていく、という意のサンスクリット語が起源である。これは太陽暦にもとづいて決められており、毎年、4月13、14、15日の3日間。文字通り、太陽が通過、移動して「12宮運行域」のうちのいずれかの「宮」へ入っていく時期である。「宮」は「星座」と同義で、12の星座(牡羊座とか蠍座とか)がある。一つの星座、すなわち「宮」を出て別の「宮」へ入っていくまでの時間が一ヶ月。12宮をひと巡りすると、一年に相当する。

 この国では、太陽暦と、太陰太陽暦(陰暦)がうまく使い分けられている。我が国では明治以来、太陽暦に変わって、それまでの旧暦(この呼び方は日本のみで陰暦<優秀な天保暦>のこと)は、一部の行事を除いて使われなくなってしまった(「暦の上では~」という表現で「立春」等と天気予報で言及されることはある)が、この国ではしっかりと仏教とともに息づいている。つまり、人々の暮らしの中で、太陽だけでなく、月の巡りも忘れられていないのだ。         

 むしろ、月のほうが大事にされている、とみてよいだろう。西暦より仏暦が庶民の間に根づいているように、それは生活のリズムの中に、慣習の中に、しっかりと組み込まれている。例えば、タイのカレンダーには、月齢が下弦、満月、上弦、新月と記されていて、それが“ワン・プラ”という、お寺に参るべき日とされている。

 従って、干支がネズミからウシ(丑)に変わるのは4月15日であって、タイ人がこの期間を本来の正月とみなしている証しといえる。ソンクラーン祭の3日間は、初日が晦日(みそか)、2日目がつなぎの日(「家ごもりの日」と呼ばれる)で、3日目から正式に「新年」となるわけだ。

 仏暦はしかし、西暦と同じく、1月1日をもって変わる。これも両刀使い。ある部分では世界標準に合わせながら、肝心の部分では譲らない、伝統を守り抜くという、わが国が明治以来、とりわけ戦後、おざなりにしてきたものがキチンとある。
2013.07.29 / Top↑