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 わが国では、路上を走るクルマといえば四輪車がほとんどで、バイクはたまに(暴走族も含めて)混じる程度だ。が、この国では、四輪車に負けず劣らず、むしろ負けまいとするかのように走りまくる。

 数の上では四輪が勝っているが、渋滞につよいバイク(クルマとクルマの間を縫って走るため)は、バイタク(バイク・タクシーの略)と呼ばれる営業車はむろん、便利な乗り物であることは間違いない。

 タイ人がモーターサイと呼ぶバイク。まさに庶民の足でもあり、ちょっと買い物などに出かけるにも、あれば便利、暑い日中はとくに歩くのがきらいなタイ人にとって、ありがたいものだ。が、欠点がひとつ、それも大変にまずい点が一つある。それは何か。

 ピンときた人は、ぼくと同じ不安を感じている人だろう。とんでもない欠点、それさえなければ、世界平和が来るとまではいわないが、不幸になる人が減り、幸せになる人がふえるにちがいない。

 それは何か。当てた人は、今年の年末ジャンボ宝くじに当たるかもしれない。
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2013.09.02 / Top↑
 なぁんだ、といわないでほしい。

 答えは、スピードが出すぎること、だ。

 速く走る。目的地へ、できるだけ速く着く。あるいは、速く走ること自体の快感。これはもう、人間の愚かさ(ある種の)と文明が抱えもった宿命というべきものだ。

 いま現在、もっとも速い乗り物、飛行機というものがあるおかげで、日本とタイの間は4分の1日くらいですむけれど、それがない時代は、その何十倍もかかっていた。いまは貨物船しか走っていないが、神戸や横浜などへの直行(香港などに立ち寄らない)でも約9日間を要する。

 それはともかく、バイクの速さは、常に人命の危機と隣り合わせだ。四輪のクルマは、まだ安定感があって、酔っ払い運転でも事なきを得る可能性があるけれど、バイクはだめだ。先に述べたソンクラーン祭での事故死の大部分は、酔っ払いバイクのものだ。2輪しかないから、ちょっとしたハンドルの切りそこないで転倒、いっかんのおわり、となる。

 タイ政府は、交通事故の多さを国の恥として、ずいぶんと広報で注意、忠告の宣伝を行ってきた。それでもって少しはよくなった、というのが現地に長い知友の言だが、ぼくがみるかぎり、よくなったとはとても思えない。

 これでよくなったのなら、前はどれほどひどかったのだろう。と、思わず戦慄をおぼえるほどなのだ。
2013.09.09 / Top↑
 タイの道路は追い越し合戦。

 ぼくは、カッセンという戦争用語でもって、その状態を表わす。クルマ(四輪)の場合は、追い越すには幅が必要だが、バイクは違って、ちょっとした隙間があれば、遠慮なく抜いていく。

 どういう抜き方をするかというと、例えば、ぼくの住処の近くの小路(幅約3メートル)で、大きくカーブしている部分がある。そこで、前をゆくクルマをバイクが追い抜いていく。

 カーブしているから、追い抜くより先に反対車線からクルマが来るかどうか、わかるはずもない。ふつうの考えでは、クルマが来ることを予想して追い抜きをガマンする。が、そのガマンができないのだ。

 スピードが出るにまかせて、一気に追い抜こうとする。こないだは、ほんとうに間一髪で、激突を免れた場面を目撃したが、そうやって運わるく(というより当然の報いか)死に急ぐ輩のなんと多いことか!
2013.09.16 / Top↑
※訂正:前回の道幅(約3メートル)は片側車線です。全幅6メートル。


 まだ十代前半の子供までバイクに平気で乗っている国でもある。それを人々は許している。いつぞやは、住宅地の中を突っ走る三人乗り! のバイクに、危うく衝突されそうになった。

 デック・ウィンウィン、と呼ばれる。デックは子供の意。暴走族も含めたガキどものバイク乗りは、まったく困ったものだ。きびしく取り締まるという考えのない国であることの何よりの証拠で、警察はカネになることには熱心だが、よけいな気苦労はしない。ほったらかし。面倒な手間(コドモを取り締まっても何の益にもならない)は掛けたくないのである。

 雨季に入ると、よけいに事故が多くなる。雨が降りはじめると、バイクのスピードが一段と増すためで、これも濡れたくない、早く帰りたいという我がまま勝手が因。

 先だっては、行きつけのコーヒー屋で、たまに来る男が顔(ほっぺた)にひどいキズをつけていた。聞くと、バイクで転倒したという。雨の日、もう少しで命を落とすところ、幸いにもケガですんでよかった、アンタライ(危ない)、アンタライと何度もくり返す顔に、笑いはなかった。笑うと痛いからである。

 ズボンで見えないが足にもキズがあるらしく、病院の世話になっているという。仕事ができないので、毎日のようにコーヒーを飲みにきて、大声でしゃべっている。いっさい笑うことがないお喋り(これをパーク・マー<犬のようにうるさい口の意>という)は、これまでの人生でみた憶えがない。

 不幸中の幸いを心から喜んでいるにちがいない。そういう幸いな事故ですんだ者だけが、次からは懲りて安全運転をするのだろうが、事故を起こす前に懲りさせるすべはないものか?
2013.09.23 / Top↑
 本当に頭のいい人間は、知識を経験と同一化できる、という。しからば、凝りなければ改まらないほとんどのニンゲンさまは、あまりアタマがよくない、ということになるだろうか。

 交通ストレス、とでも呼ぼうか。道をゆくときの疲労感はかなりのものだ。クルマに乗っても歩いても、路上である以上は同じだ。裏通りは、歩道もないところが多いから、歩行中は一瞬のふらつきも許されない。

 表通りには歩道があっても、バイクは平気で乗り上げてくる。前からも後ろからも来るから、危なくてしかたがない。道が混んでいたり、そうでなくても、車道を走るとUターンの場所まで走らねばならない(遠回りになる)から、そういうことを平然とやる。

 よそ見運転がすこぶる多い。美人がみえると、平気で視線をやる、というのは一例で、よそ見の間に何が起こるか、考えもしない。ねずみをひき殺すくらいはまだ無罪だが、これも平気のくわえタバコ運転、加えて携帯電話をかけながら、であるから、もう何をかいわんや。

 この間は、急いでいたので、めったに乗らないバイタクを拾った。夕方のラッシュで道は渋滞がひどい。ぼくを乗せたバイクは、車と車の隙間をぬって走り、やがてドンと歩道に乗り上げた。そのまま突っ走る。よしよし、行け、どんどん行け!

 ぼくも相当にこの街の交通のひどさ、我がまま勝手さに馴染んでしまっているのだ。
2013.09.30 / Top↑

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