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和していけるのは関西人か

 この国に来て、何かと気に入ってしまい、あるいは気にくわない部分がまだしも少なくてすんで、永住か、それに近い暮らしをしている人は、ぼくの見聞したところ、大阪をはじめとする関西人がほとんどである。カンサイジンでなければ、その気質を多分にもつ人だ。

 大阪人を「雑」と一言で表した人は、そこにいろんな意味を込めたはずだが、近場のカンサイジンであるぼくもまた、自分自身をその言葉で表してもとくに異論はない。

 長年、その風土に暮らすと、それに染まってしまう、というのは本当だろう。すっかり同じになるというのではむろんないが、時間には相当にルーズになっているし、電話の一本くらいはするけれど自分の都合に合わせて約束を反故にしたり、面倒くさいことはできればやりたくない、実際にやらない、ということがしばしばである。

 これはぼくだけではなく、こちらに住み着いた邦人の多くが、そのような気質を(たぶん在住期間に応じた程度に)備えていて、それをタイ化した人と呼ぶ。朱に交われば、怠惰になる(赤くなる、だったか?)、のである。
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2013.10.07 / Top↑
 しかし、ここで立ち止まってみたい。

 以上述べたように、タイ人がおおむね雑であることは間違いないが、それが否定的な意味だけを持つかというと、そうではない、と言っておかねばならない。雑であるのは悪いことだといえば、あまりに偏った見方だろう。

 雑の反対語は「整」といってよいと思うが、整っていることが必ずしもよいとはいえない。というより、人間にとって、それが快適とばかりはいえないところに、むずかしい話が生じる、とぼくは思っている。物事は見方や考え方によって、いかようにも言えるものだ。

 整なる人はその環境を整ったものにしないと気がすまないから、そのための努力をする。周りが雑然としていれば、それを整然としようとして、その過程で気苦労を強いられる。何ごともキチンとしなければ気がすまい人は、この国に来て現地人と付き合うとノイローゼになってしまうから、決して交わらない道を選ぶ。

 ぼくの価値観でいえば、雑であることは、困ったことを引き起こすことがしばしばであるけれども、それに付随する(もしくはそこから発生する)諸々の性格については、肯定してもいい、という気がする。雑だから気楽、雑だからおもしろい、といった面があることは、いろいろと小言をいいながらも耐えていける人たちの本音であるにちがいない。
2013.10.13 / Top↑
 物事の(あるいは世の中の)「整」を確保するためには、禁止事項をいろいろと設けなければならない。先の例でいえば、挙がらなかったバーベルをドカン、ドカ~ンと床に落としている男たちは、わが国ならば、即刻、退会命令が下るだろう。バーベルは自分が挙げられる範囲で、との規則はこちらにはない。一事が万事で、こちらでは禁止事項がわが国と比べて非常に少なく、人は勝手気まま、好きなようにやっている。

 それをひどいもんだと思うか、いや、気ままでいいじゃないか、と思うか、立場によって違ってくるだろう。

 いわゆる公衆道徳というものがほとんどない。公の道にモノを散らかしてはいけない、のではなく、公の道だから散らかしていく。街では、だから掃除婦(およそ小母さんで空きビンなどはお金になる)が忙しくしているし、ときおり清掃車もきてゴミをさらっていく。誰もがモノをそこらに捨てる、だから、持ち帰る必要もない、という気楽さ。少しくらい街が汚くなっても、それはお互いさまで招いた環境、さしたる問題ではない、という考え方。

 わが国の一般とは、思考ベクトルがまったく逆なのだが、これに和して(許して)いけるのは、大阪をはじめとする関西人(あるいは九州までの西日本に範囲を広げてもいい)が筆頭にくる、ということなのだ。
どうしてそうなのか。大雑把な見方ではあるけれども、どうも日本人のルールと関わるモンダイのような気がしてならない。

 いささか硬めの話になるが、記してみよう。
2013.10.21 / Top↑
日本人のルーツは東南アジア説 

 日本からタイまで、成田からだと、行きは六時間と四十五分、戻り(バンコク→東京)は六時間と十五分ほど、というのがおよそのタイムテーブルである。気流などの影響で、行きより帰りのほうが速いのがふつうだが、たまに逆転することもある。が、実際は時刻表通りではなく、飛び立ってからのアナウンスを聞かないと正確にはわからない。

 それはともかく、六千キロメートルほどある距離をそれだけの時間で飛んでしまう飛行機なるもの、何とも便利な乗り物であることは、乗るたびに感じる。これがなければ、海上の道しかなくなるわけで、そうなると、何日間か(今の貨物船はバンコク・横浜間で九日程度)かけて航海しなければならない。ヨーロッパへも船しかなかった時代はそうだったが、海外へ出かけて生活することは相当な覚悟をともなう行為だった。

 ひと昔前までは一般客も乗せてくれる貨客船が往来していたが、今はないのが残念である。一度は船で、黒潮に乗って北上してみたかったと思うからだ(フィリピン群島の東沖から発する黒潮は、秒速一・五メートル余り、幅百キロ余りの長大なもの)。

 歴史上では、近世前期、徳川三代目(家光)にして鎖国されるまでの間、朱印船(※1)がフィリピン(ルソン)からベトナム(安南)、さらにはタイ(シャム)へと出かけてさかんに交易を行なっていた。当時のタイではアユタヤ王朝が栄えていて、十七世紀には千五百人ほどが住む日本人町もできており、なかでも王朝と関わって活躍した山田長政の話は有名である。

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(※1)御朱印船とも呼ばれる。近世初期(鎖国前)、幕府から朱印状による許可を得て、東南アジア各地との交易に活躍した船。角倉了以・素庵(角倉船)、末次平蔵(末次船)などが現在の台湾、フィリピン、ベトナム、タイ等へ出かけた。
2013.10.28 / Top↑

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