上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
日本人のルーツは東南アジア説 

 日本からタイまで、成田からだと、行きは六時間と四十五分、戻り(バンコク→東京)は六時間と十五分ほど、というのがおよそのタイムテーブルである。気流などの影響で、行きより帰りのほうが速いのがふつうだが、たまに逆転することもある。が、実際は時刻表通りではなく、飛び立ってからのアナウンスを聞かないと正確にはわからない。

 それはともかく、六千キロメートルほどある距離をそれだけの時間で飛んでしまう飛行機なるもの、何とも便利な乗り物であることは、乗るたびに感じる。これがなければ、海上の道しかなくなるわけで、そうなると、何日間か(今の貨物船はバンコク・横浜間で九日程度)かけて航海しなければならない。ヨーロッパへも船しかなかった時代はそうだったが、海外へ出かけて生活することは相当な覚悟をともなう行為だった。

 ひと昔前までは一般客も乗せてくれる貨客船が往来していたが、今はないのが残念である。一度は船で、黒潮に乗って北上してみたかったと思うからだ(フィリピン群島の東沖から発する黒潮は、秒速一・五メートル余り、幅百キロ余りの長大なもの)。

 歴史上では、近世前期、徳川三代目(家光)にして鎖国されるまでの間、朱印船(※1)がフィリピン(ルソン)からベトナム(安南)、さらにはタイ(シャム)へと出かけてさかんに交易を行なっていた。当時のタイではアユタヤ王朝が栄えていて、十七世紀には千五百人ほどが住む日本人町もできており、なかでも王朝と関わって活躍した山田長政の話は有名である。

===
(※1)御朱印船とも呼ばれる。近世初期(鎖国前)、幕府から朱印状による許可を得て、東南アジア各地との交易に活躍した船。角倉了以・素庵(角倉船)、末次平蔵(末次船)などが現在の台湾、フィリピン、ベトナム、タイ等へ出かけた。
スポンサーサイト
2013.10.28 / Top↑

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。