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 鎖国してからも、唯一の交易拠点、長崎の出島にはポルトガル人(その船舶の渡航禁止まで)とオランダ人が出入りしていたが、彼らとて、すでに植民地化がはじまっていた東南アジアから黒潮に乗ってやってきた。出島には、中国人も出入りを許されていたが、日本と中国の間に横たわる玄界灘、東シナ海の荒波は、航海に相当な困難をもたらした。

 さかのぼれば八世紀の奈良時代、鑑真などは何度も渡航に失敗し、失明までして日本に辿り着いているし、遣隋使、遣唐使、さらには空海、最澄らの渡航も非常な困難をともなったもので、いまでは二時間余りで飛ぶ距離を一ヶ月ほどもかけて航海した。

 従って、中国文明、文化というものが日本に影響を与えた、その経路というのは、朝鮮半島経由のほか、南方を経由してきた部分もあったことは確実視されてきた。とくに距離的に近い沖縄本島や、南西諸島の与那国島にある海底遺跡などから、古代中国との交流を裏付けるものがさまざま発見されている。

 また、縄文人のルーツと目される「港川人(みなとがわじん」(沖縄本島具志上村港川、約一万八千年前)は、現在より海面が百三十メートルほども低かった最終氷期に東南アジアから徒歩で、あるいは島伝いにやって来た人々であり、さらにその集団の一部が北上をつづけて南九州へと向かい、縄文人の祖先となり、爪形文土器に代表される縄文文化を生み出したと考えられてきた。

 その後、津波や火山の噴火などの天変地異によって、南九州及び南西諸島の縄文人は、日本本土へ向うグループのほか、遠く南太平洋の島々へ、さらには南北アメリカ大陸へと渡っていった形跡がある。従って、ポリネシア、ミクロネシア、メラネシア等に住み着いたモンゴロイド(その代表がニューギニア東方のニューアイルランド島に住みついてラピタ式土器を製作したことで知られる「ラピタ人」)は東南アジアを起源として北上し、いったんは沖縄本島ほか南西諸島や揚子江河口域及び台湾を含めた南シナ海域に住んでいた集団(海洋民族)であったことが、その生活遺跡からの出土品のほとんど(ヤムイモ、タロイモ等の芋類から豚、犬などの家畜やバナナやココヤシなどの果樹類)が東南アジア起源のものであったことから、ほぼ定説とされてきた。

 ここで話は変わる、いや大いに関連してくるのだが、「日本人のルーツは東南アジア? 研究グループがゲノム解析」といった見出しの記事が新聞等で報道されたのは、二〇〇九年十二月のことだった。

===以下、引用。

〔アジアの諸民族の遺伝学的な系統関係が、日本などアジア十カ国の研究者による国際共同研究で明らかになった。言語や文化の異なる七十三集団(約千九百人)を対象に、ゲノム(全遺伝情報)の個人差を詳細に解析した成果で、十一日付の米科学誌「サイエンス」に発表した。日本、韓国など東アジア人の祖先は、数万年前に東南アジアから移住した可能性が高いという。

 現生人類(ホモ・サピエンス)は一〇万~二〇万年前にアフリカに出現し、世界各地に進出した。東アジア、東南アジア地域への移住ルートには諸説があり、はっきりわかっていない。
 研究チームは、一塩基多型(SNP)というゲノムの個人差に基づいて、集団間の近縁関係を解析した。その結果、遺伝学的な系統と言語学的な近縁性はよく一致。たとえば、日本人の集団は本土住民、沖縄住民ともに韓国人と近縁で、言語学上はアルタイ語族に属する。また、ゲノムの多様性は全体として、南の集団から北の集団に向けて枝分かれする傾向がみられた。

 日本から研究に参加した菅野純夫・東大大学院新領域創成科学研究科教授は「遺伝子の大きな流れからみると、日本人を含む東アジア集団の起源は東南アジアにあると推定される。ただし、今回の解析にはアイヌなど北方の民族が含まれていないので、反論の余地もあるだろう」と話している。
 ゲノムの個人差の集団的解析は、薬の効き方や副作用に関係する遺伝子研究の基盤情報になる。(※2)〕

===
(※2)出典―「ゲノム解析 日本人のご先祖 東南アジア出身?」産経新聞、2009年12月11日7時56分配信。各紙はこの発表の骨子を記事にしている。
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2013.11.04 / Top↑
 この報道に接したとき、もろ手を打ちたくなるような、そうだろうなぁ、といった感想を抱いたものだ。理屈ではなく、感性的に、皮膚感覚的に、納得のいくものがあったからにほかならない。

 むろん、日本人は何者か、どこから来たかという話について、いろんなことがいわれてきた。母方からのみ受け継ぐミトコンドリア(遺伝子)の分類から、ユーラシア大陸の各地にその分布がみられるとして、いくつかの出身地域(原住域)が指摘されたりもしている。それらの地域に住んでいた人々の一部が、何万年か前に東南アジアへ、さらにその一部が、南シナ海へ、さらに黒潮に乗って(陸地を歩き島をつたい)南西諸島へ、南九州へと向い、縄文人となったのである、という考古学上の従来の説を、発達した科学が裏付けることになったといえる。

 従って、日本人がそういうルートでやってきた人々を祖先にもつことが証明されたことについて、人それぞれの思いがあるにちがいない。共通項は、アジア・モンゴロイドであり、中央アジア、モンゴル等を原住域とする人々、インドネシア・マレー人等の東南アジア人種、及び前述のポリネシア、ミクロネシア等の大洋州、さらには南北アメリカまで渡って原住民(ネイティブ・アメリカンとかインディオと呼ばれる)となった人々(氷河期にベーリング海峡を渡っていった人々とは別であることが実証されている)であり、乳児にいわゆる蒙古斑の頻度が高い黄色人種である。

 モンゴロイドはそのようにアジア大陸の方々に原住域をもっており、どの地域の人々がより多く日本列島へやって来たのかは定かではなかった。が、今回のゲノム解析で、南からのほうが多かった、という説がかなり有力に成り立つことになった。
2013.11.11 / Top↑
 これは、わが国ではあまり知られていないようだが、タイ東北部に位置するウドーン・ターニーという、いまやタイ第二の都市に発展した街の郊外で発掘された「バーン・チアン遺跡」に注目したい。発見された当時(一九六〇年代)は、紀元前五〇〇〇年ともいわれ、ならば世界最古の文明ではないかと騒がれた。稲作農業はむろん、青銅器等の冶金技術、土器製作など、すぐれた芸術が栄えていたことが明らかとなって、むろん世界遺産にも登録(一九九二年)されている。

 遺跡の古さについては、世界最古というには疑問府がついているそうで、一応、紀元前三〇〇〇年から二〇〇〇年あたりとされたようだが、正確なところはまだわかっていない。だが、インド(インダス河)と中国(黄河)の文明のはざまにあって、もう一つの人類の遺産が存在したこと(インドや中国文明とも異なる独自性を有するといわれている)は、日本人のルーツ報道に関わる何かであるだろう。

 どうしてそんな所が文明の発祥地になるのかといえば、やはり近くを流れる大河の存在が大きい。中国青海省、チベット高原東部に源を発し、中国雲南省からタイとラオスの国境をなして後、カンボジアを貫き、ベトナム南部のデルタ地帯から南シナ海へ注ぐ大河、メコン(メーナーム・コン=メーナームは川、コン川を略してメコンと呼ぶ)。四千三百五十キロに及ぶ東南アジア随一の流れがなければ、インドや中国に匹敵する文明が生まれるはずもなかった。

 そこでは、紀元前三〇〇〇年ころには先の青銅器の鋳造(東北タイは銅鉱石を産出する)につづいて鉄器文化も花開いたとされる。従って、青銅器文化が興ったのは、中国よりバーン・チアンのほうが先であった可能性もあって、そこからアジア各地へ、メコンを下って南シナ海へ出、むろん北上して黒潮にも乗ったことが考えられる。
2013.11.18 / Top↑
 実際、一九六〇年代からはじまった発掘調査で、青銅器製品や石製の鋳型が多数発掘されており、そのうち、動物を模(かたど)った石製レリーフや容器状の石造遺物について、前者は与那国島の海底遺跡からも似たものが引き揚げられているし、後者は南西諸島に伝わる「トゥージ(石盥)」と酷似している。鉄器を使用して石材を加工し、容器や棺をつくる手法は、縄文時代の終盤(約三〇〇〇年前)の南九州や台湾にも伝統的に伝わるものであることから、いよいよメコン流域に興ったバーン・チアン遺跡との関連を見逃せなくなっている。

 この文明の担い手は、後にインドシナからミャンマーにかけて広大な領土を有して「アンコール・ワット」に代表される巨大石造建築を遺したクメール人の祖先であった。そして、そのクメール人もまた、すでに縄文時代から黒潮に乗って北上し、わが国に上陸していた形跡がある。

 すぐれた青銅器、鉄器文化を携えた彼らが、まずは途中にある南西諸島(与那国島など)に上陸し、そこに今は海底に眠る遺跡群を築き上げた可能性もある。与那国島の海底遺跡はそのような「通過文明」であったという説もあって(※3)、その主は、実は、東南アジア最古の文明を築いたクメール人の祖先だった、という思いがけない話にもなってくる。

 それを否定できないのは、彼らクメール人の、メコンから海へ、各地へと出ていったバイタリティーが実証されているからだ。その活躍を助けたのは、イスラエルに興ったソロモン王国(※4)の航海者とされ、事実、タルシン船(外洋航海にすぐれた船舶)をもって世界各地と交易して莫大な富を得たことは「旧約聖書」にも「ソロモンの栄華」として記されている通りで、当時、南シナ海からメコン・デルタへも進出し、河を遡ってバーン・チアンとも接触していたことは、ほぼ確実とされる。

===
(3)シンポジウム「海面変動と遺跡・文明」(一九九九年十一月 於・東京大学海洋研究所)における那須紀幸(海洋地質学者)氏の「通過文明」発表が注目を集めた。参考資料―「海に沈んだ超古代文明」(クォーク編集部編 講談社)
(4)ソロモン(イスラエルの王=ダビデの子。在位紀元前九六一~九二二頃)の王国。古代の大型帆船(タルシン船)による世界各地との通商により莫大な利益を得て栄華を極めた。タルシン船は「海のシルクロード」を航海、東南アジア各地へ鉄とその製鉄技術をもたらし、金銀その他の財宝を持ち帰ったといわれる。日本の九州あたりまでも黒潮に乗ってやって来て、影響を与えたという説もある。
2013.11.25 / Top↑

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