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 実際、一九六〇年代からはじまった発掘調査で、青銅器製品や石製の鋳型が多数発掘されており、そのうち、動物を模(かたど)った石製レリーフや容器状の石造遺物について、前者は与那国島の海底遺跡からも似たものが引き揚げられているし、後者は南西諸島に伝わる「トゥージ(石盥)」と酷似している。鉄器を使用して石材を加工し、容器や棺をつくる手法は、縄文時代の終盤(約三〇〇〇年前)の南九州や台湾にも伝統的に伝わるものであることから、いよいよメコン流域に興ったバーン・チアン遺跡との関連を見逃せなくなっている。

 この文明の担い手は、後にインドシナからミャンマーにかけて広大な領土を有して「アンコール・ワット」に代表される巨大石造建築を遺したクメール人の祖先であった。そして、そのクメール人もまた、すでに縄文時代から黒潮に乗って北上し、わが国に上陸していた形跡がある。

 すぐれた青銅器、鉄器文化を携えた彼らが、まずは途中にある南西諸島(与那国島など)に上陸し、そこに今は海底に眠る遺跡群を築き上げた可能性もある。与那国島の海底遺跡はそのような「通過文明」であったという説もあって(※3)、その主は、実は、東南アジア最古の文明を築いたクメール人の祖先だった、という思いがけない話にもなってくる。

 それを否定できないのは、彼らクメール人の、メコンから海へ、各地へと出ていったバイタリティーが実証されているからだ。その活躍を助けたのは、イスラエルに興ったソロモン王国(※4)の航海者とされ、事実、タルシン船(外洋航海にすぐれた船舶)をもって世界各地と交易して莫大な富を得たことは「旧約聖書」にも「ソロモンの栄華」として記されている通りで、当時、南シナ海からメコン・デルタへも進出し、河を遡ってバーン・チアンとも接触していたことは、ほぼ確実とされる。

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(3)シンポジウム「海面変動と遺跡・文明」(一九九九年十一月 於・東京大学海洋研究所)における那須紀幸(海洋地質学者)氏の「通過文明」発表が注目を集めた。参考資料―「海に沈んだ超古代文明」(クォーク編集部編 講談社)
(4)ソロモン(イスラエルの王=ダビデの子。在位紀元前九六一~九二二頃)の王国。古代の大型帆船(タルシン船)による世界各地との通商により莫大な利益を得て栄華を極めた。タルシン船は「海のシルクロード」を航海、東南アジア各地へ鉄とその製鉄技術をもたらし、金銀その他の財宝を持ち帰ったといわれる。日本の九州あたりまでも黒潮に乗ってやって来て、影響を与えたという説もある。
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2013.11.25 / Top↑

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