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 個人主義という言葉がある。ふつう、ヨーロッパが発祥の地として認識されている。ルネッサンス期、個の権利や自由が、社会(集団)の利益に優先するとして尊重され、以降、基本的な理念として普及、定着していく。

 それほどの歴史の転換期を経験しなかったわが国は、いまだに個と社会の関係があいまいである。戦争(敗戦)を機に社会は大変化を強いられたが、よい方向へはいかず、いやま個人主義と利己主義の境もないような有様になっている。集団の中で個人の意志を通そうとすると、自分のことしか考えていない、といったお咎めを受けるし、人と違った考え方や価値観をもつと、変人(わるくすると変態)扱いされたりもする。

 海外で長く暮らした日本人が、日本に帰ってきて苦労するのも、あるいは、もう復帰が不可能となって異国へと戻ってしまうのも、本来の性格もあるだろうが、個と社会の関係の違い、落差が最大の因であるにちがいない。海外では常識とされていることが、わが国においてはそうではなく、摩擦を起こしてしまう場面は枚挙にいとまがない。

 それがストレスとなって、例えば帰国子女などがノイローゼになってしまうこともあるし、逆に、日本にすっかり染まっている者が海外へ出ると同じような症状を呈し、時によからぬ事件まで引き起こしたりもする。かと思えば、わが知友の場合、日本で登校拒否をしていた子供が海外へ転地したとたん、見違えるほど生きいきとして、優秀な成績で大学まで出た例もある。

 そこに、日本で暮らす日本人だからこうだと規定してしまうわけにもいかない根拠、理由がある。わが国を多民族社会(南から北から多様な民族が移住して混血してきた先史からの事実)の視点からみれば、本来の性格からして日本のいまの状況に合わない人間がいるのは当たり前のことだ。国民の多くが、創り上げられてしまったわが国の姿、現状に、大いに不満を抱いているはずである。いずれにしても、わが国と、他の多くの大陸的な国々の違いというのは、厳然としてある、というしかない。
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2014.02.10 / Top↑
 タイという国もまた、地図をみるとわかるが、陸路でヨーロッパへも行ける、れっきとした大陸の一部である。面積も日本の1・5倍強(人口は約半分と少し)で、一極集中の首都バンコクを除けば、のんびり、ゆったりとした、まさに大きな陸の国といってよい。

 ここでの人々の考え方、価値観というのも、ヨーロッパの個人主義とイコールではないが、似通ったところがある。上座部仏教の教え、社会のルール、規範といったものはむろんあるけれど、およそ大まかなものであって、それらが個々の意志に制限を加える度合いはかなり低い。

 仏教の教えにしても、それを守れないからといって罰を受けるわけではなく(殺しや盗みなどは別)、個の自由意志に任せられることもそうだが、ゆるやかな規範の中で、人々は自己の思い、考えに忠実に従って生きている。

 約束は守るのが当たり前?

 わが国ではそうだが、ここではそうではない。しばしば破られるもの、破ってもいいもの、というのが一般認識としてある。そして、これは大事な点だが、約束には二つ種類があって、一つは契約という概念で法的に使われる(サンヤーという)が、もう一つは、英語でいえばアポイントメント、人と会うときなどに使う約束(ナットという)である。結婚の約束、などはサンヤーに属していて、これは破ると問題が生じる恐れがある。が、明日、会うことになっている約束、例えば女性とのデートなどはナットの部類だが、これはしばしば破られるし、それでいいのだとの認識がごくふつうにある。

 わが国の言葉では、いわゆる、すっぽかし、というやつだが、ぼくの見方では、わが国とは比ではない確率でそれがある。十回の約束ですっぽかしは一回もない、というのがわが国だと思うが、この国では、五回以上はすっぽかされる。
2014.02.20 / Top↑

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