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 こないだ(この間、の略で口語)は、何とか目、というのを教えた。ひとつ目、ふたつ目、みっつ目、----。これは、いち、にい、さん、とは違う、もう一つの数え方を使うわけだが、ここのつ目、でおしまいである。

 十、は、とお、であるが、とお目、とはいわない。とお目の駅で降りてください、なんていうと、はぁ、と目をぱちくりさせることになる。

 しかり、ここのつ、の次は、とお、ではなく、じゅう、を使う。すなわち、十番目の駅で降りてください、となる。とお、はおよその場合、数え方の最後を飾るだけの音だ。みかんをここのつください、とはいうが、みかんをとおください、とはいわない(間違いではないが)。ふつうは、みかんを十個ください、という。それも、個の場合は、じゅうこ、ではなく、じゅっこ、と促音になる。

 こういうことは、もう文法では対処できない。説明するのは、不可能である。ために、これを母語という。母国語ではなく、母語。母の声を聞いて憶えるコトバ。
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2014.06.02 / Top↑
 いつぞやは、アパートの近くにある雑貨店で、親子づれが買い物をしている場面に出くわした。子供は五歳くらいの男の子で、なので母親はまだ若い。駄菓子も売る店だったから、男の子は何やら飴玉のようなものがほしくて、それを母親にねだっている。

 母親は、一言、アン・ディアオ、と答えた。一個だけ。すると、男の子は承知せず、二つ、三つを手にしようとする。すると、母親はまた、アン・ディアオ、アン・ディアオ、とくり返しながら、自分はなにやら他のものを物色している。男の子は、またぐずって、ふたつを手にした。すると、母親はまた、アン・ディアオ、アン・ディアオ、と何度もくり返してオーケーをしない。

 ぼくは、その場面がおもしろくて、ジッと聞き入っていた。すると、アン・ディアオというタイ語が耳の奥まで浸みこんできて、もう決して忘れないという気分になってきた。ははぁ、これが母語というものかと、思いを新たにして、すると、年老いてきたぼくもひょっとすると子供にかえって、ボゴとしての言語を身につけていけるかもしれない、などと考えたのだった。

 アン、は個。ディアオは、だけ。二個は、ソン・アン、三個は、サム・アン、と、アンは物の数をいうときの類別詞で、もっとも基本的なもの。
2014.06.16 / Top↑

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