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 にもかかわらず、マナ板の主流はまるいものであり、四角いのもむろんあるけれど、あまり目につかない。

 一つには、木の幹が丸いので、四、五センチ刻みにぶつ切りにすれば、たちどころにマナ板ができてしまう、という効率を優先させるせいかもしれない。

 が、それよりもずっと深い意味合いが、その円さにはあると思うようになったのは、ごく近年のことだ。
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2014.12.01 / Top↑
 ぼくの好きなタイ語の一つに、ルーク(ลูก)というのがある。まるいもの全般に(類別詞としても)使う語で、単語としては「子供」の意。

 子供がまるいというのはその通りで、産まれたときのまるさは当分つづいて、それゆえに可愛い、愛すべきものであるわけだ。ルーク・サオは娘、ルーク・チャイは息子。これは大人になっても娘、息子であれば、コドモの意とは関係なく使う。

 この国の人々の子供を可愛がる度合いというのは、世界を見渡しても、上をいくところはない、と確信する。江戸時代にわが国を歴訪した西欧人に、これほど子供を愛し、大事にする国はみたことがない、と言わしめているが、同じアジア文化圏の共通項を思わせる。

 わが国でも、比喩的に、タマのような、と子供に冠するのは、似たような感性ゆえにちがいない。
2014.12.08 / Top↑
 類別詞として使う「ルーク」は、実に様ざまである。これはもう円(丸)いものであれば何でも、といってよいくらい、しばしば使われる。ボン(英語のボールから来ている)は「球」の意だが、その数をいう場合、ルークを使って、二個ならば、ボン・ソン(2)・ルーク、九個ならば、ボン・カオ(9)・ルーク、という。

 あるとき、ゴルフをして、残り三十ヤードのグリーンまでが池越えの場面で、失敗をくり返し、つまり、打てば池ポチャだから、どんどん球がなくなって、ついにあと一個となったとき、キャディは、もう球がないよ、といった。そのとき、やはりルークなる言葉を使った。

 ゴルフの球はまさにルークで、マイミー・ルーク・レーオ、と笑いながらいう、そのときのキャディの顔もまん丸で、まさしくルークであった。
2014.12.15 / Top↑

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