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 この国の仏教では、原則として酒は禁として教えを説いています。いわゆる上座部仏教における民衆のための五戒律の一つであり、よくないものとしていますが、イスラム世界におけるほどの禁かというとそうではなく、何か楽しいこと、祝うべきことがあった日には、まあ少しくらいはいいだろう、という緩やかな教えです。

 むろん、過ぎてはいけないとクギを刺すのはその他の欲も同じで、過ぎる危険のある日、例えば選挙の前日とか当日は、いわば国の方針として店舗販売禁止が通達されます。どれほどの効果があるのかは別にして、それを法として国民も納得しているのは、いかにも仏教国らしいところです。
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2016.02.01 / Top↑
 そのあたりのことは、多少の論考を要するところで、その教えというのは、強要するものではなく、民衆に説いて聞かせ、それを守るかどうかはその人間しだい、自主性にまかせる、という寛大さです。

 例えば、自他ともの誕生日くらいは飲んでもいいだろうという許しもそうですが、日常的に酒に浸る人はいくらでもいるわけで、それに対して特に宗教面からの咎めはありません。この国の仏教が、絶対的な唯一神を頂く宗教ではなく、自力でもって覚りに達すること(僧はブッダとなること)を目指すものであることと、それは関連しているといえます。

 あなた次第、レオテー・クンという言葉をよく耳にしますが、酒もまたみずからの責任において飲む、といった観念はかなり徹底しています。
2016.02.08 / Top↑
 問題となるのは、酒を飲んでよからぬ結果を招いた時、すなわち人を殺したり、人のものを盗んだり、他人の妻もしくは夫と不義密通したり、酔った勢いで大言壮語の嘘をついたり、つまり飲酒のほかに定められた禁を犯した時にほかなりません。

 その時は、警察の世話に(殺・盗の場合)なるわけで、これは宗教とはまた別の問題でしょう。殺すなかれ、盗むなかれ、性的不義を働くなかれ、嘘をつくなかれ、そして、禁酒が五番目にくるわけです。

 ただ、不殺の教えは、生きとし生けるものすべてに及び、これまた守れない人がほとんどながら、地の虫や蚊を殺すことも禁とされます。出家した僧はそれを守っているわけですが、一般の人でも蚊を殺さない人はいくらでもいて、脚が刺された跡だらけ、という人はそうに違いありません。ただ、ゴキブリを叩く人はみたことがなく、私が聞いたかぎりでは、嫌いだけれども殺しはしない、という人がほとんどです。
2016.02.15 / Top↑
 タバコの害については、すでに膨大な議論がなされてきましたが、このタイ国においてもいよいよ問題化しています。マヒドン大学という医学部で有名な学校は、さまざまな統計を出し、十代で吸い始めた人が常習になる確率とか、肺ガンになる確率などを公表して禁を呼びかけていますが、これまた喫煙者が減るどころか増える傾向にあって、とりわけ歩きながら、バイクを運転しながら吸う人の多いことには閉口です。

 屋内ばかりか、戸外においてもタバコの煙が風向きによって近くの人を直撃することについては、私も止めてはじめてわかったことで、喫煙者にもっと認識されなければなりません。

 以前はめったにいなかった女性の喫煙が増えているのは、経済発展の反面としてのモラルの低下に通じているのでしょう。タバコの箱には、恐ろしいタバコの害を示す絵柄(肺ガンの手術写真とか)がほどこされ、身体へのダメージを警告していますが、ないよりはマシといった程度の効果しかないようです。
2016.02.22 / Top↑
 私自身も六十代の初めころまでは吸っていたわけで、偉そうなことはいえないのですが、それを棚に上げていうならば、どうしてもっと早く止めなかったのかと、これは酒についてもおよそ同様にいえる後悔をおぼえます。いくら悔いても後の祭り、どうにもなりません。が、まだどうにでもなる若い人の参考までに、その後悔の中身について、少し話しておきましょう。

 それは、経済面での支出、無駄使いもさることながら、肉体的損失ともいうべきものが実感としてあるためです。タバコをやめて一年くらい経ったとき、以前の体力の三〇パーセントくらいは増していることに気づきます。やめた理由が主に年齢からくる体力減退を意識したことによるものだったので、よけいにそれを感じとったのでしたが、それはすなわち、喫煙時においては、本来の体力が大幅に目減りしていたことを意味するものでした。
2016.02.29 / Top↑

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