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 わが故郷に近い神戸のときもショックだった。当時、我はベトナムを取材中で、メコンデルタにいたのだったが、親族や知友の安否を気遣いながら手も足も出ない状況に苛立った。

 やっと連絡がとれたとき、神戸大学の学生だった我の姪は、倒壊したアパートの下敷きとなって暗い絶望的な時を過ごしていたところ、通りかかった人たちが瓦礫の中から女の足がのぞいているのを発見し、助け出してくれたのだったが、生死は紙一重の現実を体験した人たちの話にいたく感動したものだった。

 気の毒な話が山ほどある一方で、まだしもであったのは、地震災害の恐ろしさを身をもって体験したことで、生き残った人たちが新たな闘志をもって、あるいは人生観を変えて、復興への努力をなしえたことだったか。

 今回はしかし、その数倍の、まさにメガトン級の衝撃である。その理由は、災害の状況、被災者の数の多さもさることながら、やはり安全性を根底から、今度こそくつがえしてしまった原子力発電所の崩壊である。日本の戦後社会がはじめて経験する、未曾有の事態というしかない。

 いま異国にて、我は三十九年間を過ごした東京の夜の明るさを思い起こしている。まだ夜のとばりも下りない黄昏どきからネオンが灯り、真夜中を過ぎても明るさに変わりがなく、それこそ夜明けがくるまで、街は必要以上に明るかった。人々は暗さとは無縁の生活を送り、ありとあらゆる電気製品の恩恵にあずかりながら、それを快適な暮らしと信じて疑わなかった。

 しかしいま、明るい夜の街も便利な電気製品のある暮らしも、一歩間違えば大変な事態を招く原子力によって支えられていたことに、人々は否応なしに気づかされることになった。

 つくづく思う。東京の街は明るすぎた。どうしてあれほど明るくしたのか、明るくなってしまったのか。その答えは改めていう必要はないかもしれない。我こそは文明の勝利者とばかり、その欲のままに、キリのない経済発展を目指した結果にほかならない。足るを知らない経済大国ニッポンに、ついに訪れた、その傲慢さ、不遜さへのシッペ返し。

 少し遡ってみれば、勝ち目のない愚かな戦争を起こし、お国のためという名分の下に膨大な人命を犠牲にしたニッポンという国は、戦後、手ひどい敗戦の教訓やヒロシマ、ナガサキの恐ろしい体験をいともたやすく水に流し、またしてもお国のため、経済発展のためという大義をかざし、まずは公害によって多数の犠牲者を出すことからはじめて、多くの村々をダムの底に沈め、工業化と引き換えに農業をダメにし(食糧自給率を半分以下にまで落とし)、教育現場を競争社会と同次元の有様に貶めて、あげくの果てに能天気な役人天国と化し、国民の年金までをネコババするような国になってしまった、という事実をみれば、わが国の役人的体質そのものである電力会社が、国家を代表するといってもよいインフラ企業が、事と次第によってはヒロシマどころではない被害が出るという緊急事態に直面しながら、なお責任の回避と事実の非公開(現在の事故状況だけではなく)をなしてはばからないのは、実に、おもしろくもない納得を強いるのである。

 負けているのに勝っているとウソばかりついていた大本営の、国民をドレイ以下の扱いにして死ねといわんばかりであったインパール作戦等の、なんとも悲しむべき愚かしい指導者の実態がまざまざと思い浮かぶ。

 事故後に身を隠した東電の社長は。後方にいて兵士を死においやった牟田口廉也(中将)の根性とそっくりだ。ビルマ(現・ミャンマー)の雨季のすごさは、まさに彼らの「想定外」だったが、ただの無知、無能、無責任の結果だった。

 日本人は少しも変わっていない。
2011.04.06 / Top↑
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