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 仲間の間では、伝説的な戦場カメラマンであった馬渕直城が亡くなった。昨年12月、報せをもたらしたのはバンコク在住のフリー・ジャーナリストの日下部氏だった。その日、比較的体調がよいので一人で温泉場へ出かけ、突然の異変を生じて帰らぬ人となった。以前からの糖尿が悪化、透析の身となって一年余り。インドシナの戦場を駆け巡った剛毅な男の、あまりにあっけない幕切れだった。

 我が最後に会ったのはその死の半年ほど前、バンコクの大衆レストランで、日下部氏と三人で夕食をともにした。そのとき、郊外にある自宅から娘さんを伴ってやってきた彼は、もうハイジンだよ、といって苦笑したものだが、実際、体調がすぐれず、あまり食欲もないようすだった。娘が腎臓をひとつくれるといっているから、移植も考えている、というので、いまどき、腎臓を患った親に自分の臓器を差し上げるなどという子供はめったにいるものではない、奇特な娘をもったことが経済的には恵まれなかった彼の大きな財産にちがいない、と思ったものだ。

 飲食がすすむにつれて元気を取り戻し、まだもう一冊くらいは本を出したいのと、まだやりたいことがあるので死ねないともいい、シゴトへの意欲だけは失っていなかった。残念ながら、娘から親へ命をつなぐはずの手術は間に合わなかった。

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在りし日の馬渕直城・2009年12月バンコク路傍レストランにて(撮影・筆者)


 現代世界は謀略で動いている、というのが彼の持論だった。表に現れるのは、その過程もしくは結果としての現象であって、その背後にはさまざまな策略や陰謀がめぐらされており、人々は容易に知ることができない。真実を知ることのむずかしさ(あえて知らせない為政者、権力者の実態)こそ、この世のやっかいさの最たるものだと、我も思う。

 冷や飯を食う(日陰の存在ともいえる)のは、常に反主流、もしくは反体制側である。豊かさと名声を得ようとすれば、権力を握った体制側に従い、取り入って、その分け前にあずかるほかはない。でなければ、個の実力、才能をもって道を切り開く以外にない、というのが我の、この歳にして辿り着いた真実である。

 馬渕直城は、インドシナ戦争を取材したジャーナリストのなかでは反主流派だった。主流派というのは、勝者の側、つまりアメリカに勝ったベトナムのインドシナ戦略に与する側である。彼がみずからにウソをつけなかった、つまり、ジャーナリストとして誠実であることを強いたのは、一九七五年四月のプノンペン陥落時、外国人ジャーナリストと共にフランス大使館へ一時避難をして以来、まさに革命の当日から目撃してきた数々の出来事とその印象ゆえであった。

 体制側ジャーナリス(本や写真集がよく売れている方々)からみれば、馬渕はとんでもない男で、ポル・ポトの虐殺はなかった、などといっている、一体何を根拠にそういえるのか、と批判するのだが、馬渕氏にいわせれば、そういうアンタは現場にいたのか、何をみたのか、という反論をもって対抗することになる。これは傍からみていると、水掛け論、いや不毛の議論であって、わが国のジャーナリズムの貧困、稚拙さ、国際感覚の未熟さを思い知らされるだけである。
2012.01.23 / Top↑
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