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mabuchi003
花に飾られた馬渕さんの遺影―バンコク葬儀場


 ポル・ポトの虐殺はなかった。

 そう言いきれるかどうかについて、目撃者ではない我には自信がない。ただ、「虐殺」というコトバについて、その「数」について、あるいは、その者が死んだのは殺害によるものだったのか、そうだとすれば殺したのはクメール・ルージュ(ポル・ポト派)だったのかどうか(死の原因については数多くあるゆえ)、等々については大いに疑問とする。

 むしろ、馬渕氏の「なかった」(著書『わたしが見たポル・ポト』<集英社>の中では「みなかった」という表現になっているが)という言葉に込められた意味を深く考えてみれば、わが国の、世界のジャーナリズムのあり方、それゆえにもたらされた誤解のほうがむしろ重大な問題だろう、と思わざるを得ない。

 たとえば、映画『キリングフィールド』は実際にあったことのように流布されたが、その挿話一つひとつがまったく事実に反することを馬渕氏から直に聞いたとき(著作にも書いてあるが)、我は啞然として、実話だと思い込んでいた頭を切り替えたことがある。現地人アシスタントに面倒見がいい、人間的な人物として描かれているアメリカ人ジャーナリスト(原作者・シャンバーグ自身)は、馬渕氏もよく知るフランス大使館への避難組だったが、現地人アシスタントを罵倒こそすれ援助の手を差し伸べたことなど一切なく、戸外へは一歩も出ない臆病な人であった、という。ならば、すべてフィクションであると断った上で映画化されるべきだった。

 彼にはもっと生きて、もう一冊の著作でもって、なかった、と言いきれるまでの「証拠」を出してほしかった。残念ながら、それは果たされないまま、いわばインドシナの生き証人がまたひとり消えてしまった。彼が親しかった一ノ瀬泰造(カメラマン)や共同通信の石山記者などが生き残っていたならば、あるいは彼の見解を支持する強い味方になったかもしれない。が、両者ともに残念な結果になってしまったことは周知のとおり。弾丸が馬渕の急所をよけて通ったといわれたほど戦場では強運に恵まれた男も、タチのわるい病ゆえの不運には勝てなかった。

 葬儀は日本で行なわれたが、妻(タイ人)と子どもたち(男女)が遺骨をバンコクへ持ち帰り、改めて告別式を行なった。一時、洪水の排水で活躍したセンセプ運河を都心から一時間ほどいった先、バンカピ地区にある仏教寺院。三日間にわたって弔問客を受け入れるタイ式のやり方で、我と日下部氏は初日に都内で落ち合い、船に乗った。

 遺灰は、遺言に従ってシェムリアップの川へ流すべく、式のあと、幾日かして、妻たちはカンボジアへ向った。
享年68(満年齢67)。ICU(国際キリスト教大学)出身の気骨ある、みずからの信条を貫いた戦場カメラマンの生涯に、改めて敬意を表する。

 合掌。
2012.02.06 / Top↑
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