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 そうした流れからすれば、日本各地へもその足跡を刻んだであろうこともただの推測ではなく、事実、「久米島」の名(那覇市西方約百キロ)や、「大来目部(おおくめべ)」(記紀神話の中の「大国主命(おおくにぬしのみこと)」が率いた集団)の名に、その他、さまざまな言語上の共通点などに、その痕跡をみることができる。

 縄文時代に大変革をもたらした稲作の渡来もまた、中国は揚子江河口域から伝来したといわれてきたが、まずは南西諸島へ、そこから黒潮に乗って、南九州や四国や紀州(和歌山)あたりに上陸した可能性のほかに、すぐれた稲作・農耕文明でもあったバーン・チアンからメコンを伝って南シナ海へ、そこから北上していったのではないか、といった仮説が成り立つかもしれない。日本人の祖先もまた、多くがそのルートでやって来たことを科学的証拠から否定できないとなれば、これまでの歴史や、形づくられてきた国の姿を、考え直す機会ともなるだろうか。

 バーン・チアン遺跡のようなものが出てくると、それを追求、研究することで、従来の文明圏論もまた塗り替えられてしまうかもしれない。世界最古というのは保留にされたが、本当のところはなお不明であることの意味は大きい。

 かつて大野晋(故)が日本語のタミール語源流説を唱えて物議をかもしたけれど(これを疑問とする側も確かな論拠をもち得なかった)、民族移動のルートからみても間違ってはいないはずだ。ぼくは、そのタミール語も加えた東南アジア源流(さらに遡ればメコンの源流・チベット高原東部)説を唱えたい。タイ語やクメール語は一部(チベット語やネパール語はほぼ全部)語順が日本語と同じであるし、単語にしてもよく似たものがいくらでもある。文法的には北方のアルタイ語族系といわれ、言語の生理学的成り立ちは南方系と指摘されてきたけれど、文法的にも南方系と共通項があることで、いよいよ濃いつながりを感じさせるのである。
2013.12.02 / Top↑
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