私の感覚では、これも禁煙の結果と似たようなもので、体力が二〇パーセント増、すなわち以前はそれだけ減じていたということです。本来の体力がどうして減退していたかというと、やはり肝臓が飲酒で疲れていて、その回復に睡眠時間をより多くかけねばならなかったことを実感したのです。

 六時間ですむところ、八時間は必要になる、深酒をすると十時間、といったふうに、場合によりけりながら、平均すると二〇パーセントがた時間的にも損をする、と同時に、それでもなお、その日は身体がかったるいと感じていました。

 作家の司馬遼太郎は生前、わが国で本当に偉大な仕事をのこした人は、すべからく酒もタバコもやらなかったと述べています。日本地図をつくった伊能忠敬などを例に挙げていましたが、ほかにどんな人がいたか、忘れました。
2016.03.21 / Top↑
 とくに寝る前にカラダを動かすと、筋肉が疲労して、催眠効果が現れます。身を横たえて、腹筋や、脚力を鍛えているうち、少しの休憩のつもりが長く眠ってしまうこともしばしばです。これは一挙三得、タバコを吸わずにすみ、身体を鍛え、しかも眠り薬(時おり入眠剤を飲んでいました)がいらない、という次第でした。

 そしてこのことは、酒を断つことにしたときに、さらに有効に働きます。なぜ、長年慣れ親しんできた酒までやめることができたのか。確かに経済的に、そんなものを飲んでいる場合ではない、という事情はあったにしろ、飢える日が早く来るだけのこと、と開き直れば、酒量を減らすだけで断つ必要はなかったわけですから、自分でもフシギに思うのですが、これも先ほどのフィットネスのおかげでした。ひとシゴト、モノ書きをして、さあ今日はこれまで、と決めた後は、酒に手が伸びていたのを、ダンベルに替えたのです。

 これまた一挙三得、出費を無にし、身体を鍛え、酒に頼らずとも催眠の効果はそれに劣らずある、となれば、よほどの屁理屈をいわないかぎり、選択に迷いはありません。そして、この断酒もまた、体力というものに大きな影響を及ぼすものであるとの認識に至ります。
2016.03.14 / Top↑
 それでもタバコを吸いたくなったらどうしたかというと、飴をなめたり禁煙パイポをくわえたりしたのではなく、私の場合は、カラダを動かすこと、つまり、フィットネスに没頭することでした。

 肺に煙を入れる代わりに、どんどん空気を入れて吐くことをくり返すわけです。すると、人間の身体というものは、本能的に、よいほうを選ぶ、快適なほうを選ぶようにできていて、そのうちタバコの煙などは受けつけなくなってしまうのです。
2016.03.07 / Top↑
 私自身も六十代の初めころまでは吸っていたわけで、偉そうなことはいえないのですが、それを棚に上げていうならば、どうしてもっと早く止めなかったのかと、これは酒についてもおよそ同様にいえる後悔をおぼえます。いくら悔いても後の祭り、どうにもなりません。が、まだどうにでもなる若い人の参考までに、その後悔の中身について、少し話しておきましょう。

 それは、経済面での支出、無駄使いもさることながら、肉体的損失ともいうべきものが実感としてあるためです。タバコをやめて一年くらい経ったとき、以前の体力の三〇パーセントくらいは増していることに気づきます。やめた理由が主に年齢からくる体力減退を意識したことによるものだったので、よけいにそれを感じとったのでしたが、それはすなわち、喫煙時においては、本来の体力が大幅に目減りしていたことを意味するものでした。
2016.02.29 / Top↑
 タバコの害については、すでに膨大な議論がなされてきましたが、このタイ国においてもいよいよ問題化しています。マヒドン大学という医学部で有名な学校は、さまざまな統計を出し、十代で吸い始めた人が常習になる確率とか、肺ガンになる確率などを公表して禁を呼びかけていますが、これまた喫煙者が減るどころか増える傾向にあって、とりわけ歩きながら、バイクを運転しながら吸う人の多いことには閉口です。

 屋内ばかりか、戸外においてもタバコの煙が風向きによって近くの人を直撃することについては、私も止めてはじめてわかったことで、喫煙者にもっと認識されなければなりません。

 以前はめったにいなかった女性の喫煙が増えているのは、経済発展の反面としてのモラルの低下に通じているのでしょう。タバコの箱には、恐ろしいタバコの害を示す絵柄(肺ガンの手術写真とか)がほどこされ、身体へのダメージを警告していますが、ないよりはマシといった程度の効果しかないようです。
2016.02.22 / Top↑
 問題となるのは、酒を飲んでよからぬ結果を招いた時、すなわち人を殺したり、人のものを盗んだり、他人の妻もしくは夫と不義密通したり、酔った勢いで大言壮語の嘘をついたり、つまり飲酒のほかに定められた禁を犯した時にほかなりません。

 その時は、警察の世話に(殺・盗の場合)なるわけで、これは宗教とはまた別の問題でしょう。殺すなかれ、盗むなかれ、性的不義を働くなかれ、嘘をつくなかれ、そして、禁酒が五番目にくるわけです。

 ただ、不殺の教えは、生きとし生けるものすべてに及び、これまた守れない人がほとんどながら、地の虫や蚊を殺すことも禁とされます。出家した僧はそれを守っているわけですが、一般の人でも蚊を殺さない人はいくらでもいて、脚が刺された跡だらけ、という人はそうに違いありません。ただ、ゴキブリを叩く人はみたことがなく、私が聞いたかぎりでは、嫌いだけれども殺しはしない、という人がほとんどです。
2016.02.15 / Top↑
 そのあたりのことは、多少の論考を要するところで、その教えというのは、強要するものではなく、民衆に説いて聞かせ、それを守るかどうかはその人間しだい、自主性にまかせる、という寛大さです。

 例えば、自他ともの誕生日くらいは飲んでもいいだろうという許しもそうですが、日常的に酒に浸る人はいくらでもいるわけで、それに対して特に宗教面からの咎めはありません。この国の仏教が、絶対的な唯一神を頂く宗教ではなく、自力でもって覚りに達すること(僧はブッダとなること)を目指すものであることと、それは関連しているといえます。

 あなた次第、レオテー・クンという言葉をよく耳にしますが、酒もまたみずからの責任において飲む、といった観念はかなり徹底しています。
2016.02.08 / Top↑